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狂暴的邦画『ハード・コア』の感想!山田孝之、佐藤健、荒川良々の怪演!これは現代を殴る大傑作だ!

イスから立ち上がれなかった。

 

私にとっての『ハード・コア』は、それだけ破壊力のある作品だったのです。 間違いなく今年度ナンバーワンの大傑作です。前に『怒り』を観たときも、あまりの出来にしばらくイスから動けなかったのですが、それと同じ衝撃が『ハード・コア』にはありました。

 

狩撫麻礼(かりぶまれい)原作、いましろたかしが絵を担当した、平成を代表する奇書!それが、『ハード・コア』。不勉強ながら、私はこの映画を観るまで、原作の存在を知りませんでした。しかし、狩撫麻礼が狂った作家であることは知っていました。

 

というのも、私は以前、狩撫麻礼たなか亜希夫の名作、『迷走王―ボーダー』という漫画を読んだことがありまして、不器用だけれど熱い心を持つ男たちの生きざまに酷く感動した経験があるんです――。

 

今回も「狩撫麻礼」という名前を目にして、「観に行かねば!」という気持ちで、去る11月23日公開初日に劇場まで行ってきたわけです。

 

R指定」が入ってることもあって、お客さんはあまりいませんでしたが、映画が終わった瞬間の、皆さんの満足しきった顔は忘れられない……。満足するのも当然なんです!なぜなら、『ハード・コア』には、私たちが失ってしまった何か大切なものが描かれているからです。

 

この映画の魅力をうまく伝えるのは難しい。なにせ、理屈云々ではなく、魂で描いている作品なのだから。熱い心をぶつけてくるタイプの作品なのだから。どうしても舌足らずになってしまうかとは思いますが、なんとか頑張って『ハード・コア』の傑作ぶりをお伝えできればと思います!

 

今回は前半だけネタバレなし。後半はがっつりネタバレありで話を進めていきます。「まだ観てないよー」という方は、前半部分まで読んで、すぐに劇場へ行ってください。「もう観たぜ!」という方は、最後まで読んでもらえると楽しめるかなーと思います!

 

www.youtube.com

↑ちなみに、私はこのPV死ぬほど好きです(笑)

「空虚な現実」とそれに抗う「熱い男」のエッセンスが凝縮されているPVですね~。

ぜひご覧あれ~~

 

『ハード・コア』のあらすじと登場人物を紹介!

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© 2018「ハード・コア」製作委員会

皆さん、見てくださいよ。このB級感全開のポスターを!

この映画のよさが滲み出た最高のポスターですね。

のちほど、別のキービジュアルについて細かく見ていきますが、このポスターも捨てがたいなぁ。たぶん、このポスターだけ見ても、いったい何の話なのか想像つかないと思うんですよね。SFなのか、青春ものなのか、ギャグなのか……。

この置いてけぼりを食らってる感じがたまらなくイイ。「これは意味不明な映画だから、覚悟して観ろよ!」という作り手の熱い魂を感じます!

『ハード・コア』のあらすじ紹介

さて、そんな意味不明、奇妙奇天烈な『ハードコア』。いったいどんなお話なのか、まだ観てない方もいると思いますので、簡単にまずはあらすじを紹介します。

 あまりにも純粋で不器用なために世間になじめずに生きてきた男・権藤右近。群馬の山奥で怪しい活動家の埋蔵金堀りを手伝って日銭を稼ぐ彼にとって、心優しい仕事仲間・牛山だけが心を許せる相手だった。右近の弟でエリート商社マンの左近は、そんな2人の無為で自由な日々を歯がゆい気持ちで見守っている。ある日、右近と牛山は、牛山が暮らす廃工場で、古びた1体のロボットを見つける。その分野に詳しい左近が調べると、実は現代科学すらも凌駕する高性能なロボットであることが判明。彼らはロボットと不思議な友情を築いていく一方で、その能力を使って巨額の埋蔵金を密かに発見してしまう。

ハード・コア : 作品情報 - 映画.com

と、まぁ、だいたいはこんな感じのストーリーです。

 

権藤右近(山田孝之権藤左近(佐藤健牛山(荒川良々の3人+廃工場から発見された謎のロボット(ロボオ)。お金で人の価値が決まってしまう現代社会。そんな現代になじめず、不器用に生きている彼らの熱い友情劇です。

 

右近と左近は名前から分かる通り、真逆の存在として描かれています。右近は純粋すぎる性格が原因で社会になじめない。左近は、本当は右近に憧れているが、生きていくためには社会でうまくやっていくしかないと思っているエリート商社マン。

 

金も女も何もない右近。けれど、なぜか左近は度々、そんな右近のところへ来てしまう。「放っておけない、どうしようもない兄貴」という態度で接しているものの、その根底にはわずかな憧れの眼差しがある。

 

「信念」と「金」の間で揺れ動く、現代社会を生きる多くの人が持つ葛藤を、この2人が表現しているのです。

 

そして、右近の親友、牛山も社会からはじき出された存在ですし、ロボオも一人ぼっちで捨てられていた機械だった。モノも金も溢れている現代社会なのに、この作品に出てくる人物は、誰もが寂しさや物足りなさを覚えている。

 

幸福とは何か?

正しく生きるとは何か?

人にとって大事なことを、問いかけられているような気持ちになる作品です。

『ハード・コア』の主要登場人物を紹介

このブログのタイトルにもある通り、『ハード・コア』には非常に実力のある俳優が勢揃いしています。しかし、ただ単に客を集めるためだけのマーケティングに支配されたキャスティングではなく、今作の登場人物にピッタリの配役がされているんです。

 

もう、キャスティングのレベルから意気込みが違うんですよ!

 

では、1人ずつどんな人物なのか紹介していきます。個人的にベストな演技やシーンについてもちょいちょい触れていきます。

権藤右近(山田孝之
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© 2018「ハード・コア」製作委員会

山田孝之が演じるのが、主人公、権藤右近。アウトローに生きることを信条としており、社会をどこか斜めから見ている。金で何かを解決するのが大嫌いで、人の心を第一に考える熱い男。ただし、熱すぎるために、世間からは馬鹿にされる存在でもある。

 

いつも薄汚れた白いタンクトップを着ており、おそらく、他にまともな服を持っていないと思われる。とはいえ、女に会うときだけは、妙に凝ったスーツやらバラやらを抱えていく、ちょっとズレたところもある。

 

真面目過ぎるがゆえのアウトローとでも言えばいいだろうか――。仲間をコケにされるとすぐに手が出るのが玉に瑕だが、その裏側にはどうしようもない優しさが潜んでいたりする。とにかく不器用な男。それが、権藤右近。

 

そんな権藤右近ですが、山田孝之の完璧な演技によって、ものすごくキャラが立っています。

 

例えば、右近は自分の好みの女がいるときは、必ず酒をオーダーするとき「ロックで」とカッコつける。このときの視線の動きとか、本当は女の方を見たいのに、あえてグラスを見つめ続けるカッコつけとか、動作の1つひとつに右近の性格が出ていて、すごくよいのですよ~

権藤左近(佐藤健
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© 2018「ハード・コア」製作委員会

主人公右近の弟、エリート商社マンの権藤左近。佐藤健が熱演しています。商社マンとして金も女も手に入れた左近だが、会社に勤めて働くことが、実は嫌で嫌でしょうがない。右近に向かって「それでも理想、追求してるつもりかよ」と吐き捨てる一方で、兄貴みたいに自由に生きたいとも思っている。

 

AI関連に詳しいこともあり、右近たちが発見したロボオが量子コンピューターでできた凄いものだと分析。そして、ロボオを使って、徳川埋蔵金を掘り当てることに成功するが――。

 

非常にクールな男に見える左近だが、「クールにしないと社会では生きていけない」だから、仕方なくクールにしているだけで、実は右近と同じような心も持っている。社会の中で苦闘してきた男であることが、発言や行動の端々に現れている人物と言えます。

 

こんな豚小屋、遊びにきたかねーんだが、お袋が兄貴の様子見てこいっちゅうもんだからよ」と言って、左近は右近のもとへ訪れる。私はこの場面、かなり好きなんですよ。

 

「お袋が云々」って、基本的には言い訳だと思うんですよ。おそらく、左近は、純粋に右近に会いに行きたいと思っている人で、でも恥ずかしいから「お袋から言われて来ている」という口実を喋っているだけなんじゃないかなぁと思うんです。

 

最初のバーのシーンだって、右近と左近が一緒に来たことのあるバーなんですよ。ただ「みっともない兄貴」と思ってるだけだったら、一緒に行動することを避けるのが普通です。

 

要するに、なんだかんだ言って兄貴と一緒にいたい、それをうまく表現できない、ある種の不器用さを左近も持っているんです。

 

右近と左近は対照的な人物ですが、「不器用」という点では、実は似た者同士なのかもしれませんね。

牛山(荒川良々
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© 2018「ハード・コア」製作委員会


いやぁ、荒川良々は本当にこういう変わった人物を演じるのが上手ですよね。

 

荒川良々が演じる牛山は、廃工場に住んでいる男。知恵遅れのような感じで、まともに言葉を話すことができません。「あー」だとか、「うー」だとか、言葉にならない声を出すので精一杯。

 

牛山は、右近と一緒に、徳川埋蔵金の採掘という怪しい仕事をして日銭を稼いでいる。家もない、学もない、金もない、けど、なんとか生きている。それが、牛山。

 

だが、意外な過去も持っている。裕福な実家で、兄弟は全員東大生。かなりのプレッシャーがかかる中、牛山はノイローゼになり、単身東京へ向かった。そして、たどり着いたのが廃工場。その廃工場で、牛山はロボオを発見。右近や左近とも出会い、少しずつ人と交流し始める。

 

牛山が出てくると、ほとんどギャグシーンになるのですが、その背後には、切ない何かがあって、笑いと切なさの境界荒川良々は見事に表現しているなぁと思いました。

 

 

以上! 主要キャラの紹介でした!

どの人物も表面と内面の二面性を持っていて、魅力的です。ほかにも、魅力的な人物は出てきますが、その辺りは劇場で確認して頂きたい! 

ということで、ネタバレなしはここまで。

ここからはネタバレありで、私の勝手な感想を書き殴ってきまーす!

 

何が幸せなのか見失った人。

社会から孤立していると感じている人。

ぜひ、『ハード・コア』を観て、自分の「コア」を見つめ直してみましょう!

 

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物語とは、他人の視点を知るためのもの!(※ここからネタバレあり

さてさてさて、ここからは好き勝手に話しますよー。

 

まず、今回、『ハード・コア』を観て、「他人の視点」を描くことの重要性を思い知らされました。小説や脚本を書いている端くれとして、ここは居住まいを正して、再認識せねばならぬ点です。 

 

本来、物語というものには「他人の視点を疑似的に体験する」という機能があったはずなんです。

 

普段、私たちは自分の視点でしか物事を見ていません。同じ出来事や同じ景色を眺めていたとしても、同じ情報処理を行っているわけではないのです。

 

例えば、私はアニメが好きですから、街中でアニメのポスターがあれば、立ち止まって見てしまう。しかし、アニメ好きでも何でもない人の場合、たとえ同じアニメのポスターが視界に入っていたとしても、立ち止まることはないでしょう。目には入っていても、意識することのないものってたくさんありますよね。 

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

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このように、眼球がとらえる映像が同じでも、興味関心によって、意識に上がってくる情報は異なるのです。無意識(あるいは、井筒俊彦が言うところの言語アラヤ識)の中で大量の情報が処理され、必要なものだけが意識に上がってくる。ゆえに、目には入っていても、意識できない情報がある。

 

要するに、人はモノを見ているようで、見ていない生き物なのです。自分というフィルターを通しているから、世界を純粋にとらえられない。現象を現象として認識できない。人は自らの箱を出て、モノを考えることはできないんです。

 

だからこそ、他人の視点を知る必要があるんです。自分だけの視点だと、どんなに頑張っても偏ったものの見方しかできない。だが、他人の視点を知っていれば、自分の考えや見ている世界が歪んでいたことに気づく。

 

とはいえ、実際に他人の体に入って、他人の視点を体験することなどできない。そこで、「物語」が重要な役割を果たします。

 

物語は、主人公の視点から世界を眺めることができる媒体です。あるいは、作者の世界の見方を体験できる装置だとも言えます。『ハード・コア』は、まさしく他人の視点を体験できる作品でした。

 

狩撫麻礼という作家が、現代社会をどのように切り取って解釈しているのか、彼の視点に立って眺めることができました。彼自身の視点が歪んでいることも確かですが、その歪みには一定の真実味がある。私が知らなかった視点がそこにはあったんです。

 

最近の邦画は素晴らしいものが多い一方で、ヒット作の中には、作家の視点ではなく、ヒットの視点で作られたものが散見されます。ヒットの視点の場合、それはみんながすでに知っている安心できる視点だったりします。けれど、そこには作家の視点が不在なんです。

 

まだ体験したことのない視点がそこにはないんです。『ハード・コア』には、作家の視点が明確にありました。そこに、私は感動したのです。いろいろ技巧に頼りすぎて、本質を見失ったとき、この作品は創作の道しるべになってくれると思います。

 

疑似的な視界の体験、これこそ物語の醍醐味です。

 

「人それぞれ」なんて口で言うのは簡単ですが、実感するのは難しい。けれど、物語はそれを可能にしてくれます。いい意味で、「他人と自分は違うのだ」と知り、世界を、社会を別の角度から見ることができる。

 

『ハード・コア』は、物語が持っている本質的な役割を、私に教えてくれました。

衝撃の冒頭シーン!ハロウィーンを殴ってくれて、ありがとう!

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© 2018「ハード・コア」製作委員会

映画の予告にも出てるんですけど、冒頭のシーンは最高でした!

たぶん、このブログを読んでいる人の中に、渋谷のハロウィーンでバカ騒ぎしている人はいないと思うので、思い切って言いますけど――。

 

本当にイライラしますよね?渋谷のハロウィーンって……。

 

無目的に仮装した集団が歩き回るだけの、全く意味を持たない百鬼夜行その映像をテレビ越しに見ながら、歯がゆい思いをしていた人って結構いるんじゃないでしょうか?かくいう私も、歯がゆいどころか、歯ぎしりしすぎて、歯茎が血まみれ状態でしたよ(冗談)

 

だから、私自身、自分の作品で渋谷のハロウィーンを殴る方法はないか、ずっと考えていたんですよ。そしたら、『ハード・コア』で見事に、渋谷のハロウィーンで溜まったみんなのストレスを解消してくれているではありませんか!

 

冒頭、主人公の右近はバーのカウンターに座りながら、松たか子と酒をちびちび飲んでいる。眼前のテレビには、渋谷でバカ騒ぎする若者たちの群れ。それを見た右近のセリフが、「クソがっ」ですからね。そう!それを言いたかった!この時点で、右近にかなり感情移入しちゃいましたよ。

 

これって技巧の1つなんですかね。社会で起きている出来事でみんながイライラしているけど、どうしようもできないこと。そういう事柄をフィクションに取り上げることで、お客さんのストレスを解消させ、同時に主人公に感情移入させる。

 

ま、どっちにしろスカッとする素晴らしいシーンでした!

 

原作ではハロウィーンのくだりはなかったので、このチューニングは見事でした。

 

そして次のシーン。渋谷のハロウィーンで店内になだれ込んできた若者が、周りのことを無視して騒ぎまくります。湘南乃風の『睡蓮花』とか歌うあたりが、絶妙ですよね。その後、若者の一人に松たか子がナンパされて、断り切れず一緒にカラオケを始める。それをイライラしながら横目に見る右近。

 

歌が盛り上がる中で、若者がキスをするよう迫り、松たか子はいとも簡単にその若者とキスしてしまう。その光景に右近は立ち上がり、若者に迫る。

 

こっちが遠慮してんだ!タコ共!」と言って、強烈な頭突きを食らわす。

 

最高ですね~、ものの見事に、渋谷のハロウィーンを殴ってくれていて、非常にスカッとしました!

 

あと、これって松たか子だからよかったのかもしれませんよね。これがギャル風の女の子だったら、右近もそこまで切れなかったと思うんですよ。でも、ちょっと綺麗なお姉さんとして松たか子が出てきているから、あんな綺麗な人が、あんな馬鹿にキスを……という絶望と怒りが成立するように思います。

 

キャラを際立たせるという意味でも、キャラに感情移入させるという意味でも、素晴らしい冒頭だったと思います!

背景と細かな演技で現れる人物の内面!

ハード・コアの画像
© 2018「ハード・コア」製作委員会

『ハード・コア』は演出に関しても、演技に関しても、凄いところや面白いところが多すぎて、挙げだしたらキリがないんですよね。ここでは、特にスゲーと思ったシーンを取り上げます。

 

そうですね……、まず、主人公のキャラ付けがかなり緻密なんですよ。右近はアウトローで、金に媚びるのが大嫌いなので、あえてボロボロのところに住んでいます。それだけならまだしも、タバコを吸うときも新品じゃなく、灰皿にある使用済みのものに手を出します。

 

左近が右近に新品のタバコを渡そうとしたときも、右近はわざわざ自分の灰皿の中から汚いタバコを取り出して吸い始める。『ハード・コア』は、セリフに頼らず、こういう行動の部分で、主人公の人となりを表現している場面が多々あるんですよね。

 

また、演出として面白かったのは、右近と左近のライトの当て方の違いです。右近と左近が2人でいるとき、右近の顔には暖色系のライトが当たっています。しかし、左近にはライトが当たっておらず、特に洞窟のシーンでは、真暗な中で左近の姿が青白く浮かび上がっています。

 

つまり、「」で話す右近、「理屈」で話す左近。この違いを、ライトの明るい・暗いで表現しているわけです。なので、お互いの立場や考えの違いが自然と観客に伝わるようになっています。この演出は作品中の随所に見られました。

 

それから、佐藤健が演じる左近の表情が全体的に最高なんですよ。

 

左近はエリート商社マンだけれど、どこか窮屈さを感じている。ガラスに映る表情や、右近と向かい合うときの表情に、その窮屈さが滲み出ています。前に、『いぬやしき』の実写版映画を観たときも思ったんですけど、佐藤健って独特な色気がありますよね。

 

イケメンだから云々ではなく、アンニュイな顔と言えばいいのか、複雑な感情を秘めた表情を作れる人だと思います。表情の奥行きがあるから、左近みたいな歪んだ人物でも自然と演じられたのではないかなぁ、と偉そうに思ってみたりしました。

 

佐藤健に関してもう一つ言いたいのが、「」です。右近と左近が居酒屋で殴り合うシーンがあったと思うのですが、殴り合う前に、2人で向き合って話しているじゃないですか。そのときの目がすごいんですよ。

 

佐藤健って真正面から見ると、左右の目の大きさがちょっと不揃いなんですよね。偶然だとは思いますが、このアンビバレンスな瞳が、左近という人物が持っている葛藤を表しているようにも感じました。

 

「俺も兄貴のように自由に生きたい」でも「社会で生きるためには金を稼いでうまくやっていくしかない」というアンバランスな感情を左近は抱えています。佐藤健の目の左右非対称が、左近の持っている矛盾した感情を表現しているような気がしてならないのです。

 

このように、役者の演技はさることながら、演出も相まって、非常に見ごたえのある作品であると私は感じました。

人間関係が凝縮されたキービジュアル!

ハード・コアのポスター
© 2018「ハード・コア」製作委員会

『ハード・コア』のキービジュアルで一押しなのが、この1枚。

それぞれの人間性人間関係がうまく表現されていると思います。

 

まず、主人公の右近は中央で仁王立ちしています。前に屈むことも、左右に崩れることもなく、ただ二本足で立っている。彼の真っ直ぐな人間性を表していますよね。

 

そして、向かって左の牛山は、呆けた顔で正面を見ています。ポイントは隣にいるロボオとの距離感。牛山はロボオにくっつくようにして並んでいますよね。おそらく、牛山にとっての心の支えがロボオなのでしょう。

 

反対に、右近はロボオと近い距離にいるものの、くっついてはいない。右近はあくまでも、1人でしっかり立てる人間ということですね。

 

さて、最後に向かって右にいる左近。左近の立ち位置も絶妙ですよね。右近、ロボオ、牛山の3人と、左近の間には微妙に距離が空いています。これは心理的な距離を表しているのではないでしょうか。

 

3人とは違う、社会で順応している左近は、仲間に入りたいが、仲間になり切れない。社会と仲間の間で揺れ動く、左近の葛藤が3人との距離感に表現されていると、私は思います。

 

うーん、ポスター欲しくなってきたなぁ……(^^;

なぜ騙された?実は巧妙な作劇!

皆さんは、水沼が金城銀次郎を殺害したという事実にいつ気づきましたか?

お恥ずかしい話で、私はロボオがスーツケースの中に金城の死体があることを発見するまで、気づきませんでした。主人公の右近と一緒に、水沼に騙されていたわけです。

 

どうして、水沼の嘘に気づけなかったのでしょうか?

おそらく、水沼に騙されてしまった理由は大きく2つあります。

作劇上の優れたポイントがそこには隠されています。その点について詳しく見ていきましょう。

理由① 物語の軸が3つに分岐したため

まず、事実関係を整理しておきましょう。

 

金城銀次郎がトップを務める右翼団体の構成員として、右近、牛山、ロボオ、そして水沼がいました。水沼はあるとき、「会頭(金城)が一般人を切り殺してしまった、だから会頭を守るために、その一般人の死体を隠して欲しい」と、右近に頼んできます。

 

右近は死体の入ったスーツケースを受け取り、廃工場に隠します。しかし、ロボオがスーツケースの異変に気づく。スーツケースに入っていたのは、一般人の死体ではなく、実は金城の死体だったのだ。水沼は金城を殺して、その死体遺棄を右近に任せたのだった。

 

このように、観客である私もまんまと騙されてしまいました。

どうして、水沼の発言を嘘だと見抜けなかったのか、その理由の1つが「物語の軸が3つに分岐したこと」だと私は考えています。

 

『ハード・コア』は中盤から終盤にかけて、話の軸が3つくらいに分岐していきます。その3つとは以下の通りです。

 

1.水沼の金城殺害事件と隠ぺい工作

2.右近と水沼多恵子との恋愛関係

3.左近による徳川埋蔵金の取引のための渡航

 

1つ目は、すでに説明しました。2つ目は、右近と水沼の娘、水沼多恵子との恋愛です。不思議な魅力を秘めている多恵子のことを、右近がどんどん好きになっていく話。3つ目は、徳川埋蔵金を発見した左近が渡航し、海外でその金を取引するという話。

 

これら3つの話が同時進行的に進められます。例えば、話の軸が「水沼の金城殺害事件と隠ぺい工作」だけだったら、おそらく水沼の発言に違和感を持つくらいはできたはずです。しかし、目の離せない3つの話が同時に進んでしまうと、観客はストーリーを追うので精一杯になり、水沼の発言に違和感を持つ余裕がなくなってしまった――。

 

だから、水沼の嘘にまんまと騙されてしまったのではないでしょうか。

これが、騙された理由その1です。

理由② 水沼をいい人間だと勘違いさせられたため

ハード・コア 水沼と右近
© 2018「ハード・コア」製作委員会

水沼に騙された2つ目の理由が、水沼をいい人間だと思いすぎたことです。水沼は最初こそ、怪しい右翼団体の構成員で、信用できない人間ですが、途中から人情のある人間だということがわかってきます。

 

会頭のためなら死んでもいい」と語る水沼に、心を許した人も多いのではないでしょうか。

 

つまり、観客の心理としては、「水沼は怪しい」→「水沼って意外と情に厚い人なのかも……」になります。一旦印象を落とした後に、上げているので、余計に水沼がいい人に見えてくるわけです。

 

しかも、ポイントになるのは、右近は金城とほとんど会話をしていない点です。逆に、水沼とは自宅でしょっちゅう話し込んでいる。なので、観客は「水沼の話す金城」しか知らない。だから、「会頭が人を殺しちまった」と水沼に言われると、「たしかに、金城なら殺しそう」と思ってしまう。

 

逆にもし、金城と右近の会話が多く描かれていたら、水沼が言う「金城の姿」と、実際の金城の姿の間に矛盾が生じて、「怪しい」と感じることができたかもしれません。

 

よく恋愛関係の本で登場する話ですけど、「単純接触効果(ザイオンス効果)」というものがあります。単純接触効果とは、文字通り、繰り返し接触しているうちに相手のことを好きになっていく効果のことを言います。

 

私たちは、水沼に接触しすぎたために、無意識のうちに好感を持ってしまい、「疑う」という思考を制限されてしまったわけです。

 

つまり、騙された理由の1つは「怪しい水沼」→「人情味のある水沼」という印象操作、もう1つが水沼を通してしか金城を知ることができないという情報の制限。この2つによって、観客は水沼の発言を疑えなくなっていたのではないでしょうか。

「金」を取るか?「女」を取るか?それとも……

「金」と「女」……男が破滅する二大要素と言っていいでしょう。

今作では、この2つの間で振り回される、右近の姿が描かれています。右近は「ブレない男」として振舞っているものの、実はかなりブレブレなところがある。

 

例えば、ロボオを使って徳川埋蔵金を発見したとき、世紀の大発見に右近は喜ぶが、すぐに我に返ります。

 

でも、この金どうしよう……」 

 

そう、金を憎んでいた男が大金を掘り当ててしまったのです。大金を目の前にして、右近はどうすればいいのか分からなくなってしまう……。だから、左近の言われるがままに、金を運び出してしまう。

 

このときの右近は、左近の指示通りにしか動いていません。左近から言われたことに、目を泳がせながら「あー」とか「おう」とか言うだけで、まともに自分で考えていないんです。

 

金を目の前にして、自分のコアを見失ってしまったんです。左近は「」で、右近の心を惑わしてしまった。

 

そして、もう1つ、今作で重要なのが「」です。

右近は、水沼の娘である多恵子と関係を持ちます。狂ったように、欲望を発散する多恵子に戸惑いながらも、右近は多恵子から離れられなくなっている。

 

ここがポイントです。

このときも、右近は多恵子に言われるがままなんです。徳川埋蔵金を、左近に言われるがまま運び出したときと同じです。またしても、右近はコアを失っているんです。

 

つまり、「金」と「女」によって、それまでブレなかった彼の「コア」が揺れ動いてしまったわけです。

 

しかし、この後、ニュースで左近の船らしき船舶から死体が見つかったと報道され、「金」が一気に消え失せるわけです。まぁ、これは右近の勝手な誤解で、左近は生きていたわけですけどね……。

 

右近はそのあと、多恵子に対して「弟が死んだんだ……。多恵子さん俺を抱きしめてくれよ」と言います。しかし、多恵子は「そういうのやめてよ」と取り合わない。多恵子は結局、右近の「心」まで理解しようとは思っていなかったんです。

 

そういう心のつながりを、多恵子は求めていない。単なる肉体的なつながりしか、多恵子は必要としていなかった。人と人のつながりはそこにはなかったんです。

 

右近は「金」と「女」の両方から見放される。

 

ハード・コア 右近と牛山とロボオ
© 2018「ハード・コア」製作委員会

そして、最後にたどり着いたのが、いつもの廃工場。そこには、変わらず自分を迎えてくれる牛山とロボオの姿があった。「俺たち3人はずっと一緒だ」と言い、そこで右近は目が覚めるわけです。

 

要するに、右近は「金」と「女」から得られなかったものを、牛山とロボオの2人に見出したのです。右近、牛山、ロボオ、この3人の間には利害関係でも肉体関係でもなく、「」があったんです。

 

金に振り回され、女に振り回され、でも最後に、右近は情に救われたのです。

 

なんて、純粋な話なのでしょう。自分の中身を失っていた右近が、最後に「ハード・コア」を取り戻したんですよ。熱い心を……。

もう、これ書きながら泣きそうになってきました……。

 

私ももちろん例外ではありませんが、現代社会に生きている多くの人が、「己の核」を失っているように思います。中身がない、伽藍洞な人間。心にできた空虚な穴をなんとか埋めようとして、金や他者からの評価に縋りつく。

 

「金持ち」や「成功」……。

社会が幸福だと祀り上げる状態になれば、自分も自動的に幸福になれると思っている。

当然、そういう人もいるでしょう。けれど、そうじゃない人もいるはず。

何か間違っているんじゃないか……。と漠然とした不安を抱えながら、みな生きている。

 

自分の考えはブレブレで、書店の自己啓発本や、「できる男はここが違う!」とか「たったこれだけで成功できる~」みたいなタイトルの本に手が伸びる。

「己の核」がない。だから、簡単に騙される。

 

私はこの映画を観ながら、いかに自分がきちんとしたコアを持っていないのか、思い知りました。

 

平成が始まると同時に連載が始まった『ハード・コア』。狩撫麻礼は、時代が持つ空虚さをいち早く察知していたのでしょう。現代社会には、鋭すぎるくらい痛烈な一刺しを、お見舞いしている。そんな風に感じました。。。

 

はい。

ということで、今回の感想はここまで。

 

今年の1月ですかね、原作者の狩撫麻礼先生はお亡くなりになられました。

平成の世が終わりを迎えようとしている現代日本狩撫麻礼先生はこの時代に一体何を見出したのでしょうか?

今だからこそ、『ハード・コア』は観なければならない作品なのだと、強く思うばかりです!

ちょっと長くなってすみません。。

こんな名作に出会えるなんて思っていなかったもので……。

これを機に、改めて狩撫麻礼先生の作品を読み漁ってみようと思います。

では、次回のレビューまで、さようなら~~

 

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