ズドーン!
トンネルのなかに響く重低音。円形の噴煙を周囲に散らしながら放たれる弾丸。発砲の衝撃と、己の行為に対する衝撃で、体を後ろにのけぞらせる久慈悠。
追加で響き渡る二度の銃声で、久慈はハッと顔を上げる。眼前には兄(久慈誓)の姿。
兄曰く「この世界は悪い奴が生き残るんだ」
そして、オープニングへ――。
いやはや、実にテンポの良いアバンですね。
銃声が響いた瞬間、視聴者は「何が起こったんだ?」と興味を持たずにはいられなくなる。しかも、その銃声は久慈の持っている拳銃から放たれたものだった。ここで視聴者の脳内には以下のような疑問が生まれるはずです。
「どうして久慈は銃を撃つ必要があったのか?」
「そもそも誰を撃ったのか?」
これだけ冒頭で「?」を生み出しておけば、視聴者は頭のなかの「?」を解消するために、否が応でも久慈の過去を知りたくて仕方がない状態になります。この後の本編に付き合いたくなるわけです。
わずか30秒程度で、様々な情報を提示しながら観客の心をわしづかみにする、実に美しく洗練されたアバンでした。すごい!
さて、アバンの話はこのくらいにして、今回もいくつか気になるポイントがあったので、考察していこうと思います。
予想通り、第2話の一稀回、第3話の燕太回と続いて、第4話は久慈回でしたね。全体を通して、久慈の生い立ちを知ることができ、同時に、『さらざんまい』という作品が持つテーマ性が見えてきました。
また、第1話の考察とはまた違うベクトルでスカイツリーの持つ意味がわかってきたので、その辺りについてもお話しようと思います。
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- 『さらざんまい』第4話「つながりたいけど、そばにいない」のあらすじ
- 『さらざんまい』第4話の考察① カッパ(同性愛者)VSカパゾンビ(異性愛者)の構図が見えてきた!
- 『さらざんまい』第4話の考察② スカイツリー=ゴジラ!?4話目にして現れた文明批判
- 『さらざんまい』第4話の考察③ イチゴのアメが好きな久慈兄弟
- 『さらざんまい』第4話の感想・ネタバレ考察のまとめ
『さらざんまい』第4話「つながりたいけど、そばにいない」のあらすじ
「今日のラッキー自撮りアイテムは~蕎麦デシュ」
いつものように、吾妻サラのラッキー自撮りアイテムをチェックしていた一稀。しかし、弟の春河が今度おこなわれる吾妻サラの握手会に参加することを知り、困惑する。握手会のとき、吾妻サラとして合言葉を交わす約束をしてしまった一稀は、当日なんとしてでも吾妻サラに扮して握手会に出向く必要があった。そこで一稀は、久慈に吾妻サラ誘拐計画を持ち掛ける。
そんな折、街中の蕎麦が飛んでいくという事件が発生。「蕎麦久」という蕎麦屋を営む久慈家の蕎麦も被害にあってしまう。久慈は蕎麦を取り戻すため、ケッピにカッパの姿にするように迫る。久慈、一稀、燕太の3人はカッパになって、ソバゾンビと闘う。ソバゾンビの尻子玉を抜き取り、さらざんまいを開始する3人。
そこで、漏洩した久慈の生い立ちは壮絶なものだった。友人に騙されて借金を負ってしまった両親が他界し、幼くして久慈は兄と2人きりになった。兄の誓は、蕎麦屋を取り戻すために、ヤクザからしのぎを盗み逃亡。弟である久慈もヤクザから追われることになる。
ヤクザのリーダーに追い詰められた久慈は、思わず持っていた拳銃で相手を撃ってしまう。そこに駆けつける誓。誓はもう2発銃弾を撃ち込み、「殺したのは俺だ」と言って、久慈の罪を庇い、「これからは2人で生きていこう」と決意するのであった。
さらざんまいが完了した後は、いつもどおり、カパゾンビを成仏することに成功。
一稀は、どういうわけか、久慈に銀の皿を渡そうとする。「僕みたいな奴より久慈が使ったほうがいいと思ったから」と言う一稀に対し、燕太は「何言ってんだよ。一稀はずっと春河のためにやってきたじゃないか」と憤りを見せる。
しかし、燕太の憤りを無視するように「僕は春河が嫌いだ」と、およそ一稀の口から出たと思えない言葉が放たれたのだった――。
『さらざんまい』第4話の考察① カッパ(同性愛者)VSカパゾンビ(異性愛者)の構図が見えてきた!
前回のブログでも解説したとおり、カパゾンビには共通点があります。猫山毛吉、キース・モットクレー、そして今回の蕎麦谷ゆで男。前回お伝えした彼らの共通点は主に3つでした。しかし、第4話を観た結果、カパゾンビには共通点が5つあることがわかりました。
- 「半年前」に何らかの容疑で逮捕されている
- 処分保留となり釈放されている
- 新星玲央と阿久津真武に欲望搾取されている
- 全員、男である
- 全員、女がらみで失敗している
追加したのは、4つめの「全員、男である」と、5つめの「全員、女がらみで失敗している」の2つです。カパゾンビにされた人間は、いまのところ全員、男です。これは、意外と盲点でしたね。
『さらざんまい』には、男根を象徴するスカイツリーが何度も出てきますし、主要キャラがほぼ男のみで構成されています。徹底したホモソーシャルな世界とでも言えばいいでしょうか。どうやら「男である」という点は重要になってきそうです。
それと、これまで登場したカパゾンビは全員、女性との関係がうまくいっていません。ここも非常に重要なポイントです。
猫山毛吉は、彼女に好かれるために、ネコの毛を集めていたわけだし、キース・モットクレーに関しても、結婚詐欺目的で付き合った女性を自殺に追い込んで一時的に逮捕されているし、今回の蕎麦谷ゆで男についても、常連客の女性の家に侵入して風呂の残り湯を盗んだ疑いで一回逮捕されています。
全員、女性との何かしらの問題を抱えているわけです。そして、カパゾンビになった人物は、女性に構って欲しい人間ばかりです。言うなれば、カパゾンビは全員が「異性愛者」です。
勘がいい人はもう気づいているかもしれませんね?
これ、一稀たちは逆なんですよ。
カッパ陣営の一稀、燕太、久慈の3人が想いを馳せている相手は女性ではありません。全員、男を愛しています。一稀は春河を、燕太は一稀を、久慈は兄(久慈誓)を、愛しているのです。つまり、カッパ陣営はみんな「同性愛者」と言えるわけですね。
毎度のように欲望フィールドで、カッパとカパゾンビの闘いが繰り広げられていますが、この闘いは「カッパ(同性愛者)」と「カパゾンビ(異性愛者)」の対決でもあるわけです。
そして、勝つのは毎回、カッパのほう。ここには、もしかすると「同性愛>異性愛」というメッセージが込められているのかもしれません。現時点では、まだ私の邪推に過ぎませんが、どうやら性別が『さらざんまい』では重要な役割を果たしているのは間違いなさそうですね。
ちなみに、カパゾンビの共通点1~3について詳しく知りたい場合は、前回の記事をご覧になってみてくださいね。
『さらざんまい』第4話の考察② スカイツリー=ゴジラ!?4話目にして現れた文明批判
久慈の生い立ちと、浅草の変貌は少し重なるところがあります。久慈の両親が営んでいた蕎麦屋は両親の死とともに、閉店に追い込まれるところでした。両親の思い出も、両親が作った蕎麦の味も忘れ去られようとしていました。
しかし、兄の誓が蕎麦屋を続けるための資金を集めたことで、蕎麦屋は親戚によって継がれることになりました。久慈はこうした自分の過去と街が変わりゆく様子を重ね合わせています。
「この世界で生き残れないものは消えるしかない。消えたものは忘れ去られる。街も建物も人も、みんな同じ。消えたものは新しいもので上書きされる。この街では誰もそのことを気にもとめない」
(引用:『さらざんまい』第4話より)
久慈の蕎麦屋が忘れ去られるのと同じように、街も建物も人も、新しいもので書き換えられてしまう。浅草という街は、昔の文化を残しつつも、スカイツリーをはじめ、次々と新しい建物が建設され、古い建物や文化は新しいものによって上書きされている。消えてしまったものに対して、人々が関心を寄せることはない。
久慈は浅草という街と自分の蕎麦屋が似たような境遇であることに気づき、憤りを覚えているように見えます。ここで読み取れるのは、文化をないがしろにする近代文明に対するアンチテーゼ。
スカイツリーはとくに、その象徴として描かれている印象があります。文明の勃起と言ってもいいでしょう。なんでもかんでも新しくすればいいのですか?新しくするときに、何かしら大事なものを落としているのではないですか?そんな問いかけがされているような気がします。
上記に関連して、これは私の穿った見方ですが、オープニングに出てくるスカイツリーの横で吠えている怪獣、あれはゴジラをイメージしているように思えてきました。オープニングの1分10秒あたりに出てきますよ。
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そもそも、フォルムがゴジラに似ています。腕が短く、足元に向かって胴が太くなる辺りとか、ゴジラにそっくりです。では、なぜゴジラなのか?
おそらく、これも過度に発達した文明に対するアンチテーゼとして機能しているように思います。ゴジラはもともと、核実験が原因で目覚めた怪獣。ゴジラには、テクノロジー批判や、行き過ぎた科学技術への批判が込められています。ゴジラもまた文明批判の意味を背負っているわけです。
このゴジラがオープニングでは、同じく行き過ぎた文明の象徴であるスカイツリーと並んでいるわけです。文明の勃起という意味で、ゴジラもスカイツリーも似た者同士。スカイツリー≒ゴジラという対応関係になっているのではないでしょうか。スカイツリーやあの怪獣が何を表しているのか、今後も注目ですね。
『さらざんまい』第4話の考察③ イチゴのアメが好きな久慈兄弟
棒が付いているタイプのアメ。両親の写真の前に置かれていたり、兄(久慈誓)が持っていたり、久慈のポケットに入っていたり、このように、第4話ではピンク色のアメが何度も出てきました。
よく見てみると、アメのカバーに「イチゴ」のイラストが描かれています。イチゴには、「尊敬と愛」とか「幸福な家庭」という花言葉が存在します。
両親を失ってすぐの久慈の部屋には、両親の写真があり、写真のそばにはイチゴのアメが置かれています。しかし、現在、イチゴのアメは久慈の兄(久慈誓)のそばにあります。
花言葉の意味から考えると、久慈にとってのいまの家族は兄だけしかおらず、兄が家庭であり、唯一愛情を向けられる対象なのかもしれません。2人の家族としての絆を証明する小道具として、イチゴのアメは役割を果たしていると考えられます。
『さらざんまい』第4話の感想・ネタバレ考察のまとめ
『さらざんまい』第4話も、いろいろと盛沢山でしたね。最後に、『さらざんまい』第4話で発見したことについて、以下にまとめておきます。
- カパゾンビの共通点として、「全員、男である」と「全員、女がらみで失敗している」という2つのポイントが追加された。
- カッパ(同性愛者)VSカパゾンビ(異性愛者)という対立構造になっているのかもしれない。
- 久慈の生い立ちと、浅草の変貌はシンクロしている。
- スカイツリーとゴジラがオープニングで共演しているように見える。そして、どちらも過度に発達した文明の象徴として描かれている。
こんなところですかね。個人的には「異性愛者 VS 同性愛者」という構図と、浅草を題材に文明批判している点が興味深かったです。今後、カパゾンビの共通点に変化が起きるのか、どうしてカパゾンビはみんな男なのか、この辺りに注目してみると、面白い発見があるかもしれません。
そういえば、エンディング後には、一稀の気になる発言がありましたね。第4話は基本的に久慈回でしたが、さりげなく一稀の話も展開していました。
一稀は、吾妻サラの握手会に潜入する計画を練っていましたが、最後の最後に、まさかの「僕は春河が嫌いだ」という爆弾発言。いったい、何があったのでしょうか。
次回は今までモニターの向こう側にいた吾妻サラが、がっつり一稀や久慈たちと絡みそうなので、その点も楽しみですね!
はい、ということで、今回はこの辺りでお開きにしましょうか。
では、次回のレビューまで、さようなら~(^^)/
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『さらざんまい』の各話の考察記事については、以下からご覧いただけます。