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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の感想&考察!比企谷八幡の〝本物〟が見えた〝3つ〟の瞬間と「共依存」から見えたヒロイズムへのアンチテーゼ

【俺ガイル】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の画像
©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

「共依存って言うのよ」 

今回もまた、雪ノ下陽乃の強烈な一撃が、さく裂しましたね。陽乃の言葉は、単なる毒舌ではなく、本質を突いているので、さすがの比企谷も苦しくなってしまう。分かっているけれど、口に出さずにいた、言語化せずにいたものを、陽乃は容赦なく突きつけてくる。これに対して、比企谷は強い吐き気を催しながらも、1つの回答を示す。

「共依存」と分かっていながら、それが「まちがい」であると分かっていながら、それでも捨てきれないものがあることに気づいた比企谷。さて、比企谷は何を想い、何を決心したのか、本記事ではそのあたりのことについて書いていこうと思います。

結衣の引き裂かれるような想いや、比企谷の決心など、話の転換点として大きな機能を果たす第4話。プロムの開催に暗雲が立ち込めるタイミングで、彼ら自身の心情が露呈してくるあたりは、さすがの構成力と言わざるを得ませんね。

それでは、そんな抜群の構成で、なおかつ、非常に濃いテーマが語られていた第4話の考察をしていきます。とくに「共依存」の意味について掘り下げていきますので、ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話のあらすじ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」オープニング映像

プロムのPV撮影が終わり、時間に余裕ができた比企谷八幡(ひきがやはちまん)由比ヶ浜結衣(ゆいがはまゆい)の2人は、小町の合格祝いを買いに、近くのショッピングセンターへ行くことになった。小町への贈り物を探しながら、将来の進路について語り合う2人。

あくる日、帰ろうとする比企谷と結衣を、一色いろはの声が呼び止めた。「まずいことになりました」と言ういろはの後についていくと、そこには雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)の母、そして、姉・雪ノ下陽乃(ゆきのしたはるの)の姿があった。

プロムの開催について中止すべきと訴える雪乃の母。開催が危ぶまれるプロム。果たして、プロムは無事開かれるのだろうか?

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の感想&考察① 比企谷がお兄ちゃんを卒業する瞬間と「共依存」から見えたヒロイズムへのアンチテーゼ

「まだお兄ちゃんするの?」

という陽乃の強烈な指摘や、第3話のいろはからの指摘から、比企谷の「お兄ちゃん」という役割に対するアンチテーゼを読み取ることができます。では、「お兄ちゃんする」とはいったいどういう意味なのでしょうか?

比企谷がお兄ちゃんを卒業する瞬間

「お兄ちゃんする」とは、簡単に言えば、なんでもかんでも手伝ってしまうこと、そして、手伝うことで相手の自立心や意思を奪ってしまうことだと考えられます。

事実、雪乃が告白していたように、雪乃はいままで比企谷に考えることを押し付けてきたところがあるし、比企谷もそれを進んで引き受けていた面があります。「誰かに頼ることで安心する雪乃」、「誰かに頼られることで気持ち良くなる比企谷」、そんな奉仕部の関係に対して、「共依存」であると陽乃は辛辣な一言を投げかけます。

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陽乃の言うとおり、奉仕部の面々は互いにある種の〝役割〟を押し付け合い、互いが自立することを阻害している部分があります。実際に、雪乃の発言と同様に、結衣も最後の場面で、いろいろな役割を雪乃に押し付けていたことを独白していました。

「彼女のように諦めたり、譲ったり、拒否したりできなかった。すごく簡単なことのはずなのに、あたしは何もできなかった。全部彼女のせいにして、そうしなかった。全部押し付けてきたのは、あたしのほうだ」

つまり、互いが互いに役割を押し付けて、依存し合う関係にあることを、陽乃は看破していたわけです。役割の押し付けによる共依存。では、この共依存をどのように乗り越えればよいのでしょうか?

基本的には、すでに奉仕部の彼らが理解しているとおり、自分の本心(本物)を打ち明けるしかないでしょう。本心を隠したまま、役割を演じ続けていても、互いに役割を押し付けあっていても、自立した個人と個人の関係で向き合うことはできません。

ただ、本心を、あるいは本物を打ち明けた場合、これまでと同じ関係を維持することは難しくなります。恋人関係の2人と、これまでと同じように仲良く接するなんて、簡単にできることではありませんし、「2人が幸せなら、それで十分」なんていうのは、それこそ偽物の感情ですからね。本物を追及するということは、偽物によって作られた居心地のよい関係性を壊すことを意味します。

本当は冷たくて残酷な悲しいだけの本物」によって、温かな偽物が維持できなくなってしまうわけで、ここが怖いんですよね、みんな。

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このように、第4話では、これまで隠してきた偽物の正体を陽乃に看破されたことで、奉仕部の面々は自身の本物へ向き合わざるを得ない状況に追い込まれました。

では、比企谷の向き合った「本物」とはなんでしょうか?

この点については、平塚先生との電話で語られていました。プロムの中止を知った比企谷が、プロム企画に手を貸すため、学校へ戻ろうとするシーン。なぜ、そうまでして、手を貸すのか?と聞かれた比企谷はこう答えました。

「いつか助けるって、約束したから」

これは、つまり「雪乃を助けたい」という気持ちを優先させるという宣言なのですが、この発言もまだ少し婉曲的です。言うべきことの中心ではなく、周辺の言葉を使っている印象を受けます。

というのも、このときの比企谷は、口に出そうとした言葉を一度飲み込んで、それから、上記のセリフを口にします。つまり、この言葉はまだ「本物」の言葉ではないと考えられます。平塚先生も「それでいい」と妥協するような返答をしているので、ここからも、本物は別にあることが分かります。

ここで考えなければいけないのは、「そもそも、どうして雪乃を助けたいのか?」です。その答えは、おそらく「雪乃のことが好きだから」でしょう。これが、先ほどのシーンで、一度言おうとして、結局引っ込めた本物の言葉だと推察されます。

これまで比企谷は、お兄ちゃん(保護者)の役割を演じることで、自分の本当の気持ちや、周りの人と対等な立場で向き合うことを避けてきました。

しかし、本心と向き合わざるを得なくなった比企谷は、「お兄ちゃんだから助ける」という役割(偽物)ではなく、「好きだから助ける」という本物へ舵を切っています。あの駆け出した場面は、まさに、お兄ちゃんを卒業した瞬間とも言えるわけです。お兄ちゃんではなく、比企谷八幡になった瞬間と言っても良いでしょう。

「共依存」のテーマから見えたヒロイズムへのアンチテーゼ

ここから先は、かなり穿った見方になりますが、「共依存」という言葉を聞いた瞬間に、これは「ヒロイズム」へのアンチテーゼだなと、私は感じました。なぜ、ヒロイズム批判になっているのか、その点について解説します。

まず、「お兄ちゃんする」という行為には、ある種の快感があります。それは、頼られることの快感です。この点については、陽乃が指摘していましたよね。

「あの子に頼られると気持ちいいでしょ?」

頼られて、助けて、気持ち良くなる……これ、ヒーローのあり方と似ている気がしませんか?基本的に、ヒーローものの主人公は、誰かに頼られる存在です。困っている人をとにかく助けて、それに気持ちよさを感じている存在とも言えます。

しかし、ヒーローがこの快感を得るためには、どうしても困っている人が必要になります。頼ってくれる人物が必要になります。そうでないと、ヒーローは頼られる気持ちよさを感じられません。平和を願っているようで、実は頼られることの快感に浸っているヒーローもいるかもしれませんね。

つまり、頼ってくれる人がいなければ、ヒーローはヒーローとして成立しないわけで、その点から考えれば、ヒーローとヒロインなどの助けられる側の人物との関係は、互いに依存しあっている共依存の関係と言うこともできるわけです。頼って、頼られて、成立する共依存ですね。

こういうヒロイズムによって生まれる共依存の関係を『俺ガイル』では、徹底的に追及しているように感じます。

陽乃も、「なんでもかんでも手を出すことが、その人のためになるとは限らない」といった趣旨の発言をし、ヒーローとして手助けすることの問題点を指摘しています。

それは、「助けられた側が自立できないという問題」と、「助けた側も頼られないと自立できない存在になってしまうという問題」です。

第1期で、比企谷が指摘していたように、「人」という字は支えあっているのではなく、互いに寄りかかっているように見えますよね。あれが、陽乃の言う共依存です。

ヒーローとヒロインの関係と言っても良いでしょう。ですが、この場合、どちらも一人で自立できていません。支えがなくても立てるようになって初めて、それは「自立」と言えるのであって、互いにもたれかかっている状態は、共依存でしかないわけです。

よくあるラノベやアニメなら、比企谷がヒロインを助けて、モテモテになって大変……みたいな展開でひと段落するはずなのですが、『俺ガイル』では「助ける」という行為自体にメスを入れて、あるいは、助けられる側の自立心に焦点を当てて、「ヒロイズムが本当に人を救うのか?」と、ヒロイズムを痛烈に批判しているようにも見えます。

確かに、一般的なハーレムものの作品の場合、よく考えるとヒロインの自立心は無視されていることがありますよね?主人公が助けたら、あとはメロメロになってしまうだけで、自立するということへの言及がほとんど見られません。

カワイイ女の子が自分にメロメロという状態は、観客を気持ちよくさせますが、そのヒロインは間違いなく依存しており、自立とは程遠い存在です。そして、主人公やそのメロメロなヒロインたちに頼られて気持ちよくなっている観客もまた、頼ってくれるヒロインたちに依存しており、これはまさしく共依存関係なのです。

もちろん、こうした点に向き合っている作品もあるとは思いますが、『俺ガイル』ほど、ヒロインを単なる助けられる存在ではなく、一人の自立した人間として描いているアニメやラノベは少ないと思います。

つまり、「お兄ちゃんする」という文言を通して、ヒロイズムに対して、もしくは既存のアニメ・ラノベに対して、「ヒロインと共依存するだけでいいのか?依存し依存される関係でいいのか?この野郎!」と一撃を食らわせているような気がしてならないのです。

これはかなり穿った見方ですが、ラノベ・アニメを使って、ラノベ・アニメ業界へ批判をおこなっていると考えると、より作り手の熱意が感じられて、私的には非常に感動を覚えるわけです。まぁ、全部、私の世迷言なんですけどね。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の感想&考察② 比企谷八幡と衛宮士郎が似ている件

すみません、ここからは『Fate/stay night』が分かる人向けの内容になるのですが、『俺ガイル』の比企谷と「フェイト」の衛宮士郎って、どこか似ているような気がしませんか?

表面的には全く違うキャラクターですが、持っている問題意識というか、テーマについては近しいものがあるように思います。

私は、衛宮士郎と英霊・エミヤを足して2で割ると、比企谷八幡になるのではないかと考えています。その理由を、以下に説明していきます。

まず、比企谷と士郎の2人は、いずれも「偽物への問題意識」と「本物への憧れ」、そして「人を助けたい」という3つの共通点を持っています。

士郎は衛宮切嗣の姿に憧れて「正義の味方」を志すようになります。「人を助けたい」という想いも、切嗣をまねする形で引き継いでいます。自身の感情ではないため、士郎は、偽善者、偽物、贋作、紛い物など、とにかく自分が偽物であることを強く意識させられ、ほかのキャラクターからも「お前は偽物だ」と追及されます。

しかし、「確かに、俺は偽物だ、けど、みんなが幸せな世界がきれいだと思った。その気持ちは本物のはずだ」と、何もかも偽物だと思っていた自分の心にも、拭い去れない、否定できない想いがあることに気づき、その想いだけは、疑えない〝本物〟だと気づきます。

一方、『俺ガイル』の比企谷も、似たようなプロセスを経ています。

周囲の人間関係が偽物臭くて仕方がないと否定するものの、自分もまた「お兄ちゃん」という偽物を演じて、本心を隠し続けている事実に気づく。何もかも偽物の世界で、「それでも、俺は本物が欲しい」と涙ながらに訴え、比企谷は自身にとっての本物を探し始める。そして、本心と向き合い、ついには「いつか助けるって約束したから」と、自分の中にある拭い去れない、否定できない本物の想いがあることに気づき、雪乃のもとへ向かう。

比企谷の場合は、陽乃から指摘、あるいは自己批判によって、偽物への問題意識を持ち、士郎は英霊・エミヤによって偽物であることを指摘されます。そして、何もかも偽物だと理解したのち、それでも本物を求め続け、最終的に疑いえない想いがあることに気づきます。こうした「偽物への問題意識」から、「本物への憧れ」へとつながる流れは2人に共通していると言えます。

さらに、2人とも「人を助ける」という想いを強く持っている点が似ています。

士郎は露骨に「正義の味方」を掲げているし、比企谷も「いつか助ける」と言っており、こうした「人を助けたい」という想いを疑えない自分の本質であると位置づけているあたりが似通っています。

ただ、比企谷の場合は、士郎ほど素直ではなく、ひねくれた感じで人助けをしています。このひねくれた態度で、人助けをする点は、衛宮士郎ではなく、むしろ英霊・エミヤの方に似ている印象があります。

つまり、士郎の持っている偽物・本物への問題意識と、英霊・エミヤが持っているひねくれた自己犠牲的な助け方の両方を兼ね備えているのが比企谷なのです。

ゆえに、比企谷は衛宮士郎と英霊・エミヤを足して2で割ったような存在だと言えるわけです。

さらに、『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(UBW)で士郎は英霊・エミヤと決着をつけるとき、「この想いはまちがいなんかじゃない!」と言っていました。『俺ガイル』のタイトルにも、「まちがっている」という言葉があります。

どちらの作品にも、作品の中核となるワードとして「まちがい」という言葉が使われているのです。

ここで言う「まちがい」は、客観的に見たときのまちがいのこと。士郎の場合で言えば、英霊・エミヤやアーチャー(ギルガメッシュ)から見たまちがい。比企谷の場合で言えば、陽乃から見たまちがいです。

士郎が最後に「まちがいなんかじゃない!」と叫んだように、比企谷が「いつか助ける」と言って駆け出したように、客観的にはまちがっていると分かっていても、自分の心のなかで燃えている想いは、まちがいなく本物だという姿勢をとっています。

客観的なまちがいよりも、主観的な本物を信じる態度も、2人の共通点だと思います。こう考えると、2人とも、熱い、熱すぎる。けれど、それが、たまらなくいいですね。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の感想&考察③ 実は酔える?比企谷八幡の〝本物〟が見えた〝3つ〟の瞬間

基本的に、比企谷は同世代のとる行動を冷ややかな目で見ていますよね。ですが、第3期からは、冷ややかな目ばかりではなく、本心(本物)を表に出す機会も増えてきたように思います。第4話では、比企谷の本物が見えた瞬間が3つほどありました。

  1. 「いつか助けるって約束したから」と言って走り出すとき
  2. 結衣と一緒にとった写真を見て笑ったとき
  3. 平塚先生が教室に入ってきたとき

1はすでに説明したとおりで、これは自分の本心に向き合った瞬間ですし。なにより、あの省エネ人間の比企谷が駆け出したわけですからね。これは、本心が思い切り出た瞬間と言って差し支えはないでしょう。

2の結衣と自販機の前で写真をとるシーンですが、ここにも比企谷の本心が表れています。そもそも「写真送ってくれ」と頼んでいる時点で、結衣との関係を大事に考えていることは明白です。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。13 (ガガガ文庫)
 

さらに、スノーみたいに動物の耳や鼻の加工がされた写真を見て、比企谷はごく自然な笑顔を浮かべます。ですが、第4話の冒頭では、プロムのPV撮影のときに撮られた、スノーみたいな加工がされた写真を見て、比企谷はいつものちょっと引いたような表情を浮かべていました。

けれど、結衣と一緒に写った写真を見たときは、同じ加工を施しているはずなのに、自然に笑うわけです。つまり、あまり親密でない他人のことでは気持ちが乗らない(酔えない)けれど、仲の良い結衣と一緒なら同じことでも乗れるし酔えるわけです。

陽乃から「君は酔えない」と言われていましたが、でも、比企谷は大事な人とならちゃんと酔えるんですよね。あの比企谷の笑みには、間違いなく本物があったと私は思います。

3の平塚先生が教室に入ってきたときですが、その瞬間、比企谷は平塚先生の横顔をじーっと見つめていました。そして、思いつめたような表情で下を向きます。

平塚先生の離任を知った比企谷は、おそらくそれを寂しく感じているのでしょう。ゆえに、つい横顔を凝視してしまったのだと思われます。

平塚先生と電話をしている最中も、「先生だってそうでしょ?」と言いながら、歯噛みして、平塚先生が離任を黙っていたことに腹を立てていました。あれも、冷静な比企谷には珍しいシーンですし、彼の本物が出た場面だと思います。あの瞬間も、比企谷は間違いなく自分の感情に「酔っていた」はずです。

いつもなら、お兄ちゃんとして、高い場所から、冷静に物事を判断する比企谷でも、これら3つの場面では、気持ちが先行して、まるで「酔っている」かのようでした。

比企谷は回を経るごとに、間違いなく本物を獲得しているし、感情を重視するようになっている印象があります。今後、比企谷がどんな本物を見せてくれるのか、その点にも注目していこうと思います。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の感想&考察のまとめ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」エンディング映像

ふと気づいたのですが、『俺ガイル』の構成って、中盤から反転するような造りになっていますよね。

まず、第1期から第2期中盤までは、比企谷が葉山や周りの人間関係を「偽物だ」と、切り捨てていく展開。そして、第2期中盤以降は、この関係が反転して、葉山や陽乃などの周りの人間から、比企谷は問い詰められる展開になります。

とくに陽乃から、「君たちの関係は偽物だ」と攻撃を受けています。つまり、比企谷がまだ人間関係を構築していないときは、人間関係を持つ側を攻撃していたのですが、比企谷が奉仕部の面々と深い人間関係を持つようになると、今度は攻撃を受ける側に立場が反転することになったというわけです。

キーになるのは、関係性の有無ですね。 関係性が生まれたことで、自分がこれまで他人に問いかけてきた問題が、逆に自分に降りかかってくることになるという仕組みですね。こう考えても、『俺ガイル』は最初の時点から、かなりコントロールがきいている作品だったということが分かりますね。いやぁ、恐れ入りました、渡航先生。

はい。それでは、最後に 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第4話の感想&考察をまとめておこうと思います。

  • 「誰かに頼ることで安心する雪乃」、「誰かに頼られることで気持ち良くなる比企谷」、そんな奉仕部の関係性に対して、「共依存」であると陽乃は辛辣な言葉を投げかける
  • 互いが互いに役割を押し付けて、依存しあっていることを陽乃は看破していた
  • 本心と向き合った比企谷は、「お兄ちゃんだから助ける」という役割(偽物)ではなく、「好きだから助ける」という本物へ舵を切っている
  • 頼ってくれる人がいなければ、ヒーローはヒーローとして成立することはなく、その点から考えれば、ヒーローとヒロインなどの助けられる人物との関係は、互いに依存しあっている「共依存」の関係であると言え、こうした共依存の関係をはらむヒロイズムに対して、俺ガイルはアンチテーゼを展開しているのではないか?
  • 俺ガイルでは「助ける」という行為自体にメスを入れて、「ヒロイズムが本当に人を救うのか?」と、ヒロイズムを痛烈に批判しているように見える
  • メロメロなヒロインたちに頼られて気持ちよくなっている主人公に、自分を重ねている観客もまた、頼ってくれるヒロインたちに依存しており、これはまさしく共依存関係と言える
  • ヒロイズムに対して、もしくは既存のアニメ・ラノベに対して、「ヒロインと共依存するだけでいいのか?依存し依存される関係でいいのか?この野郎!」と一撃を食らわせているような気がしてならない
  • 比企谷と衛宮士郎の2人は、「偽物への問題意識」と「本物への憧れ」、そして「人を助けたい」という3つの共通点を持っている
  • 士郎の持っている偽物・本物への問題意識と、英霊・エミヤが持っているひねくれた自己犠牲的な助け方の両方を兼ね備えているのが比企谷なのではないか?
  • 客観的なまちがいよりも、主観的な本物を信じる態度も、2人の共通点
  • 他人のスノーには笑わない比企谷だが、結衣と一緒に撮ったスノーには自然な笑みを浮かべており、ここに比企谷の本物が見てとれる
  • 平塚先生に対しても感情をあらわにしており、そこにも比企谷の本物が見てとれる
  • 比企谷は回を経るごとに間違いなく、本物を獲得しているし、感情を重視するようになっている

はい。ということで、第4話の感想&考察は以上になります。

すでに、第5話は配信されているようなので、早めに鑑賞して、また記事を更新します。次回、またお会いしましょう。

それでは、さようなら~。

 

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