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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第8話の感想&考察!比企谷が見落としていること

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第8話の画像
©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

「男の意地って言うんだ」

いやぁ、熱い。第8話の冒頭、葉山と比企谷が語り合う場面で出てきたセリフですが、本当に熱い、漢気の世界みたいになってきました。比企谷って、表面的にはクールな人間ですけど、内面は人一倍情に厚いところがありますよね。人前ではクールに気取って、内面では激しく感情が動いている……これって、一昔前の、いわゆる高倉健的なカッコよさですよね。私が大好きなやつですけど。

自分の感情をあっけらかんと現実でもネットでも吐き出せる現代の若者からすると、こういう意地を張る生き方って、かなり古く見えるはず。なのに、この作品が若者に大人気なのは、現実に存在する表面的には明るいけど薄っぺらい人間関係に、若者自身が何か違和感を覚えているからなのかもしれません。

「素直になることがよい」とされている時代の空気に、比企谷は抗い続けているようにも見えます。「男の意地」なんて今どきなかなか使いませんしね。けれど、素直になって、簡単に済ませるのではなく、遠回りでも、自分の気持ちや相手の気持ちをちゃんと考えて、納得を追い求めて足掻き続ける姿を見ると、ついつい比企谷を応援したくなっちゃうんですよ。

〝素直になる〟という言葉を使いながら、実際は〝周りに合わせる〟だけの生き方を選んでいる人が多いからこそ、みんながどこかで捨ててしまった、あるいはいつか諦めてしまった意地。その意地を捨てずにこうとする、そんな彼の姿に憧れてしまうのかもしれませんね。

葉山との会話は、まさしく〝悪友〟みたいで最高でした。あれも、完全に一昔前の任侠ものなんですよ。比企谷は葉山に対して「一個人としてだったら」という前置きをしてから、「協力してくれるか?」と尋ねますが、葉山は「一個人としてなら、なおさら嫌だよ」と返します。この会話だけを聞いたら明らかに仲が悪いように見えますよね。けれど、この後、二人は向かい合ってから「ふっ」と微笑を浮かべて、コーヒーを飲んでいます。

これ、要は、男同士のイチャイチャなんですよ。基本的に、女の子同士なら素直に仲良く振る舞えるんですが、男同士の場合は、そこに照れが入るので、あえて互いに罵り合ったり、悪口を言い合ったりしながら、コミュニケーションするという、ひねくれた方法をとることがあります。

けれど、最近は男同士でも素直に仲良くしている傾向があるので、比企谷と葉山の、あの悪友的なコミュニケーションって、本当に古いんですよ。それを、ラブコメで、しかも若者が読むラノベでやって、ちゃんと支持されているわけですから、いやはや、不思議なもんです。

比企谷も「お前だけがそう言ってくれる」みたいなことを言ってましたし、「お前だけが」なんて、こんなのほとんど告白みたいなもんですよ。でも、それを口に出しては言わないあたりが、古臭いけれど、憎めない比企谷の良さなんですよね。個人的に、『龍が如く』とか大好きなので、こういうシーンはたまらんのですよ。

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ちなみに、互いに向き合ってコーヒーを飲んでいるシーンには、おそらく記号的な意味があると思います。

当ブログでは、コーヒーについて「大人の記号」であると説明してきました。今回は二人ともコーヒーを飲んでいたので、つまり「俺たちは同じ大人だ=対等だ」という意味を読み取ることができます。

ただし、比企谷がマックスコーヒーで、葉山がブラックコーヒーだったので、苦さの面では葉山のほうが上です。この違いにも、ちょっとした意味が読み取れます。葉山と比企谷の共通点は、「雪乃を助けようとしたことがある」という点です。

葉山は、雪乃を助けられなかったことに酷く後悔していましたよね。雪乃を助けようとしたが、助けられなかったという苦い経験をしたのは、中学生時代に雪乃に出会っていた葉山のほうが先です。

要は、「雪乃を助ける」という行為において、葉山は比企谷の先輩になるわけです。ゆえに、比企谷が飲んでいたものよりも苦い(大人の)ブラックコーヒーを飲んでいたのではないかと推測されます。わざわざ差別化しているので、そこには何かしらの演出的な意図があるはず。まぁ、おおむね私の妄想ですがね。

はい。少し前置きが長くなりましたが、ここから『俺ガイル 完』第8話の感想&考察をネタバレ全開で書いていこうと思います。まず、第8話までの流れを振り返りながら、『俺ガイル』の物語構造について解説します。その後に、現在、比企谷が見落としていることについて書きます。

お暇な方は、ぜひご覧ください。

 

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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第8話のあらすじ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」オープニング映像

プロムの当て馬企画を本格的に見せるため、比企谷結衣海老名三浦とともに、浜辺に訪れ、写真撮影を行う。無事、当て馬企画の写真を撮ることができた比企谷は、遊戯部の協力を得て、ホームページを完成させる。

ダミー企画を周知するために、比企谷は雪ノ下陽乃に連絡を取る。陽乃は当て馬企画の周知を手伝うことになるが、一方で、いずれにしても比企谷たちの関係が「共依存」であると痛烈な一言を浴びせる。

後日、当て馬企画の責任者である比企谷は呼び出しを受けることになった。比企谷を呼び出したのは、まぎれもなく雪ノ下の母であった――。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第8話の感想&考察① 『俺ガイル 完』を動かす二つの三層構造について

『俺ガイル 完』第6話の記事で、『俺ガイル』のストーリー構造について、以下のような説明をしました。

これまで比企谷は何かの問題に直面したとき、AかBのどちらしかないという二者択一の選択肢を前にして、誰も予想しないようなCプランをぶつけて、問題の解決を図ってきました。

今回も「雪乃を助けるか」「雪乃を助けないか」の二者択一に対して、比企谷は「雪乃と対立する」という第三の選択肢を見出していました。

なぜ『俺ガイル』は展開が読めないのかといえば、二者択一のどちらしか解決策はないと思わせて(ミスリードして)、第三の選択肢を隠しているからです。そして、その第三の選択肢を比企谷が見つけるからこそ、比企谷が魅力的に見えるわけです。

 

↓以下の記事から引用

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「二者択一から第三の選択肢の発見」というのが、俺ガイルの基本的なプロットであると私は考えています。また、『俺ガイル完』は、「プロム企画」「人間関係(三角関係)」の二つの話で構成されています。そして面白いのが、どちらも上記のような三層構造で展開している点です。

人間関係で言えば、「①雪乃を助けるか」「②雪乃を助けないか」の二つの選択肢を提示したあとに、「③雪乃と対立する」という第三の選択肢を見出しています。

プロム企画で言えば、「①雪乃の修正案が通る」「②比企谷のダミー企画が通る」かという二つの選択肢を示したあとに、「③雪乃の母を使って反対者を説得させる」という第三の選択肢を比企谷が見出していました。

いずれの場合も、三段階で話が構成されていることが分かると思います。二つの話を三層構造で組み立てているのです。こうすると、観客は目の前の二つの選択肢にミスリードされてしまい、三つ目の選択肢に気づきにくくなるわけです。

「情報量の差別化」によって可能になるミスリード

それにしても、伏線があるはずなのに、なんで騙されるんだろう?」と不思議に思う方もいるでしょう。ここで、ミスリードの技について、少し説明しておこうと思います。

ミスリードする際にポイントになるのが、「情報量の差別化」です。多くの場合、観客は頻繁に聞くフレーズや説明に意識が引っ張られます。

今回で言えば、「雪乃と対立する」という答えが出るまで、彼らの間では「雪乃を助けるか・助けないか」という意味のセリフやモノローグがたくさん出てきました。その一方、「雪乃との対立」に関する情報は、平塚先生と会話する一場面でしか提示されていませんし、平塚先生は「雪乃と対立しろ」とは一言も言っていません。平塚先生は、拳を突き出す形で、間接的に「対決する」という方法を表現していました。

ミスリードしたい事柄(雪乃を助けるか・助けないか)については言語化して何度も使う、これによりまずは観客にその事柄が重要であると誤認させます。と同時に、本当の伏線を、少ない回数で、かつ言語化しない形(平塚先生の拳)で、シーンとして描いておきます。こうした調整を行うことで、観客をミスリードさせながら、確実に伏線を仕込むことが可能です。誤認させたい情報を増やし、大事な情報は抽象的かつ頻度を減らしながら示すことで、観客をアッと驚かすことができるわけです。

ちなみに、プロム企画についても同じ方法が使われています。実際に「雪乃の企画」と「比企谷のダミー企画」について、多くの時間を割いて説明していました。特に、後半はダミー企画に焦点を当て、ダミー企画に関する説明が増えていきましたよね。これで、観客はダミー企画に関する事柄で意識が支配されます。

しかし、実はダミー企画が始動する前、雪乃の母からプロム企画の中止を提案される場面で、雪乃の母から「プロムに反対する保護者もいる」という説明が一瞬だけあります。しかし、この場面で、〝反対している保護者〟という後のキーワードについては深堀されていません。そして、そのまま「雪乃を助けるか・助けないか」の話題に話が転換していました。これにより、〝反対している保護者〟という伏線を提示しながら、同時に読者の関心を別の事柄に向けさせ、伏線の正体を隠すことに成功しています。

その後も、〝反対している保護者〟については言及を避け、比企谷たちのダミー企画の情報量をどんどん増やしていくことで、観客をミスリードさせ、「雪乃の母を使って反対者の保護者を説得する」という回答に観客が至らないよう工夫しているのです。

つまり、肝になるのは情報量の調整ですね。伏線は出さなければならない、しかし、それが伏線だとバレてはいけない。なら、伏線はさりげなく提示し、逆にほかの情報をどんどん増やすことで、伏線を見せながら、伏線の正体を隠す。これは、ミステリーでもよく使われる手法です。

『俺ガイル』は、ラブコメでありながら、ミステリーの部分でも高度なことをしている作品なのです。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第8話の感想&考察② 比企谷が見落としていること

第8話で、比企谷と雪乃のプロム企画対決はいったん幕引きとなりました。意外とあっさり終わりましたね。まぁ、あっさり終わったのは、これから先の問題のほうが、比企谷たちにとって重要なことだからでしょう。

その問題が、陽乃が言うところの「共依存」です。第8話の冒頭で比企谷が語っているように、比企谷は陽乃から言われた「共依存」という言葉を否定するために、雪乃と対決することを決意しました。

確かに、雪乃を助ける手段として〝対立する〟という方法は画期的でした。しかし、よく考えれば、比企谷の助けがなければ、雪乃の企画が成立することはなかったわけですし、雪乃は比企谷が取る方法をある程度予測しながら、無意識に頼っていた部分もありました。

あなたなら、どうにかしてしまうような気がした」「そう思うくらい、あなたに依存していたの」という雪乃の言葉からも分かる通り、結局のところ、陽乃が指摘する「共依存」の関係からは、まだ脱していないように思われます。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 (ガガガ文庫)
 

ただ、私が思うに、そもそも「共依存」という言葉を否定しようとする行為自体が、本質からズレているような気がします。

確かに、奉仕部の関係の中には、互いに役割を押し付け合っている部分があるのかもしれません。その自覚があるからこそ、陽乃の言葉にドキッとしてしまうわけですし。

しかし、陽乃の立場から「共依存」に見えたからといって、彼らの関係性のすべてが「偽物」だということに、果たしてなるのでしょうか?

どうにも、奉仕部の面々は陽乃の言葉を重く評価しすぎな気がします。

「共依存」という言葉に縛られる限り、比企谷は常に陽乃という客観的な視点から評価される立場になります。これがそもそもの間違いな気がするのです。

本来は、陽乃の言葉ではなく、自分たちの言葉で考えなければならない問題のはずです。そして、自分たちの想いは本質的には、自分たちにしか分からないもののはずです。なのに、陽乃が付けたある種のレッテルを剥がすことに、比企谷たちは必死になっているように見えます。

けれど、なんでも知っているような顔をしている陽乃も、実際は比企谷たちのことを断片的にしか知りません。

彼らと同じ時間をずっと過ごしてきたわけではない。ならば、陽乃も知らない、奉仕部の大事な何かがあるはず。本来は、それを発見しなければならないのです。

「共依存」という言葉を発した陽乃に採点を仰ぐのではなく、自分たちの中にある感情に目を向けて、自分たちが築き上げてきた関係性に目を向けて、自分たちで納得のいく答えを出す必要があります。この点を、比企谷は見落としているように思えるのです。

つまり、陽乃という客観ではなく、奉仕部という主観に答えを求めていく。客観に振り回されない、自分たちの中の確かに感じている何かを具体化していくことが大事なのです。

比企谷が気づくべきなのは、常に陽乃に審査してもらおうとする姿勢そのものです。陽乃に評価してもらおうとする、ある意味で陽乃の評価に依存している状態から脱することが求められます。陽乃という客観の呪縛から逃れて、自分たちだけの確かな答えを探し始めたとき、奉仕部は「本物」に辿り着くのかもしれません。

そもそも、客観的に正しい「本物」なんて探しても見つかるものではありませんから、それが人間関係についてなら、なおのことそうです。比企谷たちには、自分たちの本物を探してほしいですね。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第8話の感想&考察のまとめ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」エンディング映像

今回の記事は構成のことがメインになってしまいましたね。細かい話ばかりで、退屈だったかもしれませんねぇ。すみません。

ちなみに、構成面で言えば、雪乃の母が出てくるまでの流れも見事でしたね。 雪乃の母が出てくる前に、陽乃と比企谷の会話を描いている点が肝です。

あらかじめ陽乃から「母は怖いよ」という言葉を受けたあとに、雪乃の母の登場ですから。これにより、ただでさえ怖い陽乃よりも怖い存在として、雪乃の母を認識することになるので、インフレ効果的な感じで、過剰にドキドキするわけですよ。

まぁ、ベジータがフリーザを怖がるみたいなもんですかね。こういう前振りは、バトルの緊迫感を生むのに大切ということです。

さて、それでは最後に、『俺ガイル 完』第8話の感想&考察をまとめておこうと思います。

  • 葉山と比企谷は「悪友」としての不思議な関係を築いている
  • 「雪乃を助ける」という行為で、葉山は比企谷の先輩である。その記号として、比企谷が飲んでいたマックスコーヒーよりも苦いブラックコーヒーを葉山は飲んでいたのではないか?
  • 「二者択一から第三の選択肢の発見」というのが、俺ガイルの基本的なプロット
  • 「プロム企画」と「人間関係(三角関係)」の二つの話を三層構造で組み立てている
  • ミスリードする際にポイントになるのが「情報量の差別化」
  • 誤認させたい情報を増やし、大事な情報を抽象的かつ頻度を減らしながら示すことで、観客をアッと驚かすことができる
  • 「共依存」という言葉に縛られる限り、比企谷は常に陽乃という客観的な視点から評価される立場になる
  • 陽乃の言葉ではなく、自分たちの言葉で考えなければならない問題のはず
  • 「共依存」という言葉を発した陽乃に採点を仰ぐのではなく、自分たちの中にある感情に目を向けて、自分たちが築き上げてきた関係性に目を向けて、自分たちで納得のいく答えを出す必要がある

はい。『俺ガイル 完』第8話の感想&考察は以上になります。

なんだかんだで、最終回が近づいてきたので、どんなエンディングになるのか、今の時点でドキドキしています。

第9話を観たら、記事を更新しますので、その時にまたお会いしましょう。

では、さようなら~。

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