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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)の感想&考察!常に〝本物〟へ王手を指そうとする意志こそが重要

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©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

「財津くん? 財津くんは今度でも構わないでしょ?」

いや、財津くんだけ可哀想なんですけど。ほかの子はちゃんと用事があるのに、財津くんだけ用事云々ではなく、財津くんだからという理由だけで、欄外に追いやられているんですけど。というか、財津くんって誰なの? 財津くんじゃなくて、材木座くんなんですけど。人としての扱いと名前の間違いで二重の意味で可哀想なんですけど……。

とまぁ、最後の最後まで材木座先生は私たちを笑わせてくれますね。その場にいなくても笑いが取れるなんて、なかなかマネできる芸当ではありません。笑いのオチとして、最強の存在ですよ。

ちなみに、同じ場面で小町いろはが「奉仕部の再開」を告げに来ますが、このシーンの伏線は前にちゃんと用意されていましたよね。個人的にポイントの高いところです。

第12話、合同プロムが開かれている最中、比企谷結衣が話していたと思います。比企谷の背中を寂しそうに見送る結衣の姿を、さらに後ろで隠れながら見つめるいろはと小町。二人は互いに顔を見合わせたのち、何かひらめいたように「うん」と頷きます。この時点で、いろはと小町は、「結衣を助けたい」という気持ちで一致し、そのための施策を考えたのだと推察されます。

奉仕部がなくなり、合同プロムが終わり、新学期が始まってしまうと、比企谷と結衣の接点はなくなってしまいます。そこで、奉仕部をもう一度復活させ、依頼主という立場を使って結衣を比企谷に引き合わせようと、考えたのではないでしょうか。要するに、比企谷と結衣がもう一度関われるような理由付けとして、奉仕部の再開とその依頼主という設定を用意したのだ思われます。お膳立てをしてくれたわけですね。

依頼主である結衣の相談内容も、おそらく事前にいろはや小町と話し合ったのでしょう。そう考えると、このシーンに至るまでに、女子3人でどんなやりとりがあったのか想像が膨らんで面白いですよね。

さて、そんな『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)。ついに訪れてしまった『俺ガイル』シリーズの最終回。今回はシリーズ全体から分かる比企谷八幡のモノの考え方や、テーマ的な部分について考察&感想を書いていこうと思います。ネタバレ全開で書きます。お暇な方はぜひご覧ください。

↓前回の記事

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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)のあらすじ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」オープニング映像

「偽物」の関係を断ち切るため、結衣雪乃に本心を告げる比企谷。両想いであることを確かめた比企谷と雪乃の二人は、めでたく恋人関係となった。

合同プロムの企画を遂行するため、比企谷と雪乃は場所の確保と人員確保を開始する。人手が足りない中集まった、材木座や遊戯部のメンバー、いろは戸塚三浦海老名川崎葉山戸部……そして、遅れて参加表明をした結衣。彼ら彼女らを巻き込んで、合同プロムの準備が進められる。

雪ノ下家の母陽乃に見守られながら(見定められながら)、合同プロムは開催され、無事イベントは終了。 静かになった会場で、比企谷は平塚先生と最後の言葉を交わす。

後片付けに追われる雪乃のもとへ行く比企谷。雪乃の気持ちを改めて知り、さすがの比企谷も「死ぬほどかわいい」と言わざるを得ないのであった。

これで全てが解決したと思った矢先、廃部したはずの奉仕部へ、一人の依頼主が現れる。依頼主・由比ヶ浜結衣の相談を受け、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」と心の中で呟かずにはいられない比企谷であった――。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)の感想&考察① 常に〝本物〟へ王手を指そうとする意志こそが重要

平塚先生と踊ったあと、比企谷は「ずっと疑い続けます」と宣言していました。あの宣言は、まさに比企谷の思想をよく反映したものだと思います。私が思うに、 比企谷の思想の根本にあるのは、「疑い」もしくは「問い」です。

答えを得たいと強く願いながらも、そう簡単に「答え(本物)」が手に入るわけがないことも、比企谷はよく分かっています。だから、それが自分にとって納得のいくものなのか常に問い続け(疑い続け)て、そのときに自分が信用できるものを信じていく。

周りが押し付けてくる答えに抗い、「それは本物なのか?」と問い続けていくこの姿勢は、まさしく哲学者のようでもあります。多くの人が考えないようにしていることを、常識として処理していることを、あえて疑っていき、真理を探究しようとする態度は哲学者そのものです。

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特に、比企谷の態度は、ギリシャ哲学のソクラテスに似ている印象があります。ソクラテスは、それっぽいことを語る当時の知識人や政治家に問いを投げかけて、対話の中で相手の矛盾を追求しながら、真理を探究していった哲学者です。このソクラテスがとった方法を「問答法」と言います。

一般的に、「答え」を与えられると人は思考を止めてしまいがちです。反対に、「問い」を投げかけられると、人は答えを得るために考えるようになります。問答法は、「答え」を得て思考停止状態に陥っている人に、「問い」かけることで再び考えることを促す効果があります。

劇中、比企谷もこの問答法を使って相手を追い詰める場面がありましたよね。中でも、第1期の文化祭のラストシーンを思い出す人も多いはず。あるいは、葉山に対しても、比企谷は「そんなものは本当の友達じゃない」と切り込んでいましたよね。特に、第1期から第2期の中盤にかけて比企谷は、問答法を使いながら相手の矛盾を突いていくソクラテスのような人物だったように思います。

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しかし、それまで他者を厳しく問い質してきた比企谷が、第2期の中盤以降、逆に他者から問い質されることになります。例えば、葉山から「君のやり方は正しいのか?」と問われ、あるいは陽乃から「君たちの関係は本物なのか?」と問いかけられ、これまで「問う」側だった比企谷が、一変して、厳しく「問われる」側になったのです。

ぼっち〟でいるうちは、他人の人間関係の矛盾を突くことができたのですが、奉仕部の関係が構築されはじめ、いよいよ〝ぼっち〟でなくなると、今度は自分たちの人間関係に矛盾が発生してしまい、陽乃からその矛盾を突かれることになったわけです。

自分だけの世界(ぼっちの世界)なら、矛盾のない完ぺき主義を貫けるかもしれないが、他人とかかわるとどうしても矛盾や綻びが発生してしまう。そして、それは比企谷も例外ではなかったのです。

こうして、比企谷は第2期の中盤から、他人への疑いにプラスして、自分への疑いというベクトルも持つようになりました。そして、疑いや問いを続け、その果てに比企谷が求めたものが「本物」です。

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この「本物を求めずにはいられない」という姿勢に関しては、宮沢賢治に似ているような気がします。宮沢賢治は著作のなかで、何度も「本物」や「本当」を追求する場面を描いています。例えば、かの有名な『銀河鉄道の夜』でも、ジョバンニとカンパネルラは〝本当の幸せ〟について語り合っています。

同じく宮沢賢治の『学者アラムハラドの見た着物』には、以下にように書かれています。

「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」
 アラムハラドはちょっと眼をつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中ぼうっと燐の火のように青く見え、ずうっと遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹がぞろっとならんでさんさんさんと梢を鳴らしているように思ったのです。アラムハラドは眼をひらきました。子供らがじっとアラムハラドを見上げていました。アラムハラドは言いました。
「うん。そうだ。人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおんなじだ。おまえたちはよくおぼえなければいけない。……」

 (引用:宮沢賢治 学者アラムハラドの見た着物

人は「本当」を求めるものであると、語っていることが分かります。考えて考え抜いた先には、真実とか真理とか、言い方はいろいろありますが、自分が心から信じられる本質的なものがあるはずで、それを人は求めないではいられないのです。比企谷の「本物」を求める態度は、これに近い印象があります。

同時に、宮沢賢治の作品を読んでいると、その本物も簡単に導き出すことはできず、それを追求することは答えのない旅をするようなものだということが分かってきます。

こうした「本物」を簡単に得ることはできないが、それでも本物を求めて考え続けるべきという考え方は、第12話の平塚先生との会話にも出ていました。

平塚先生「……距離があいても時間がたっても惹かれ合う。それは本物と呼べるかもしれない」

比企谷「どうですかね。分からないですけど、だからずっと疑い続けます。たぶん、俺もあいつもそう簡単には信じないから」

平塚先生「正解には程遠いが、100点満点の答えだな」

ここで大事なのは、比企谷の「疑い続けます」と「俺もあいつもそう簡単には信じないから」という言葉。

紆余曲折を経て、比企谷は本物に近づいたのかもしれません。しかし、まだそれが本当の意味で、自分が信じられる本物なのかは分からない。だから、信じられる答えが出るまでちゃんと疑い続ける。

そして、今ある答えに満足するのではなく、出た答えを疑って、より信じられる答えを探していく。比企谷の言葉には、「俺はずっと考え続けていきます」という決意表明が含まれているような気がします。

確かに、平塚先生の言う通りで、正解(本物)には程遠いかもしれない。けれど、そもそも正解(本物)が何かなんて人によって違います。だから、正解不正解とは別に、比企谷の疑い続ける、本物を追求し続ける姿勢自体を褒めて、平塚先生は100点満点を与えてくれたのでしょう。本物の追求を繰り返していくことが、生きていく上での納得感を得るのに大事なことなのかもしれません。

将棋でいえば、簡単に王(本物)をとることはできないが、王手を指すことならできる、そして、その王手を指し続けようとする意志こそが、納得できる真理に近づくために重要なことなのです。

ソクラテスのように疑い続け、宮沢賢治のように本物を求め続ける、そんな求道者として、比企谷は本当に尊敬できる人物だと思います。考えることをやめてはいけない。納得できるまで、信じられるまで疑い続けて、考え続ける。そうすれば、違和感だらけの誰かの道ではなく、自分が納得した自分の道を進むことができる。そんな生きる上で大事なことを、『俺ガイル』は教えてくれました。

私自身も、常に「本当とは何だろう?」、「本物ってなんだろう?」と思考を回し続けようと思います。他人が用意した答えに簡単に身をゆだねてしまわないよう、強い意志を持って考え続けたいと、心の底から思いました。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)の感想&考察② 単なる願望充足コンテンツではない『俺ガイル』

第1話の記事で言及しましたが、『俺ガイル』は人物の内面における葛藤をメインに扱った極めて文学性の高い作品です。ライトノベルというジャンルでありながら、話が進むにつれて、ライトではなくヘビーになっていく展開が特徴です。

ただし、ラノベならではの読者の願望を充足させる機能もきちんと備えています。例えば、以下のような願望充足要素がきちんと盛り込まれています。

  • ラッキースケベの展開
  • ヒロインが純真無垢
  • ヒロインが主人公以外の男に興味がない
  • ヒロインを助ける展開
  • 主人公にいろんな初めてを捧げるヒロイン

基本的に、10代から20代の男性読者をターゲットにしたラノベの場合、こうした願望充足要素は高い確率で盛り込まれています。特に重要なのが、読者の「性欲」を刺激することと「承認欲求」を満たすことの2つです。

例えば、上記のリストで言えば、ラッキースケベは性欲を刺激する機能がありますよね。「ヒロインが主人公以外の男に興味がない」、「ヒロインを助ける展開」、「主人公にいろんな初めてを捧げるヒロイン」などは、承認欲求を満たす要素です。

読者は主人公に自己投影して作品を読み進めるので、モテモテな状態の主人公に自分を重ねて、可愛い女子から好かれている(承認されている)状況に快感を覚えるようになります。 

読者の承認欲求を満たし続けるためには、ヒロインが主人公(読者)以外に興味を持つことは許されず、主人公(読者)以外の男に初めてを捧げることも許されません。ヒロインは、すべてを主人公に捧げる存在でなければならないのです。

現実ではいまいちな男の子が異世界に転生して、そこでは大活躍。というのは、まさに現実に満足できない読者の姿を表しているわけです。これなら自己投影しやすいですよね。しかも、そんないまいちな自分が、困っているヒロインを助けると、突然やる気スイッチを押されたかのように、ヒロインは主人公(読者)のことしか見なくなり、自分のすべてを捧げるようになります。

ヒロインが主人公(読者)に依存するようになり、あるいは、主人公(読者)がいなければ生きていけないような〝依存的美少女〟になり、絶対に裏切らない女の子として主人公(読者)を安心させてくれます。同時に、誰かに頼られている、美少女に頼られているという快感を感じながら、美少女に認められているという承認欲求を満たすことも可能になるわけです。

仮に、設定上、大人でセクシーな人物だったとしても、ラノベのヒロインの多くは、主人公(読者)の前では異常なまでに純真無垢で、すぐに照れたり頬を染めたりします。本当に恋愛経験豊富な女性を出してしまうと、恋愛経験が豊富でない読者の場合、未知との遭遇になってしまい(女が怖いorよく分からないとなってしまい)、ヒロインを安心して愛でることが難しくなります。ヒロインを安心して愛でるためにも、純真無垢で裏をあまり持っていないような正直な女の子が求められるわけです。

このように、純真無垢な女の子の裸体で性欲を刺激しつつ、女の子に頼られたり好かれたりするシーンで承認欲求を満たすという展開をエピソードの中で適宜繰り返していくことで、読者の願望を満たし続けることが可能になるのです。

さて、『俺ガイル』に話を戻しましょう。先ほども触れたように、『俺ガイル』にも上記のような願望充足要素はあります。特に、第1期はラッキースケベの要素や、ヒロインを助ける展開がしっかり盛り込まれており、ちゃんとラノベのルールに従った作品でしたよね。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

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  • 作者:渡航
  • 発売日: 2012/11/02
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『俺ガイル』のすごいところは、中盤以降。物語の序盤はラノベに見せているのですが、中盤以降、少しずつそのラノベの仮面を剥がしていきます。ラノベのルールを途中から意図的に破っていくスタイルと言いますか。ラノベの仕組みを理解したうえで、それをひっくり返してやろうとしているように見えるのです。

まず、第3期を観た方ならすぐに分かると思いますが、『俺ガイル』では、「助けることが相手のためになるとは限らない」というテーマが描かれています。「助ける=いいこと」にされがちですが、それを『俺ガイル』では「本当にそうなのか?」と追及しています。

普通、ヒロインを助けたら、ヒロインは主人公に好意を持ち、依存し続けるのが鉄板です。しかし、『俺ガイル』は、助けることについても、依存することについても、その両方にメスを入れています。助けること(頼られること)で気持ちよくなるヒーロー、助けられることで依存してしまうヒロインという、この物語が持つ構造的な問題を明らかにしようとしたのが『俺ガイル』なのかもしれません。

陽乃の「共依存」という言葉が象徴するように、『俺ガイル』は典型的なヒロイズムが持つ「依存」という問題に切り込んでいます。

助けられたヒロインが主人公にメロメロになる、頼りきりになる、それで本当にいいの?それって本当にヒロインのためになってるの?それってヒロインが依存しているだけじゃないの?主人公は頼られることに快感を抱いているだけじゃないの?という強烈なツッコミ。そのツッコミをするのが陽乃です。

陽乃の口を借りて、作者が業界(又は読者)に対して、「お前ら本当にそれでいいのか?」と怒りの咆哮を上げているような印象を抱きます。特に、陽乃の「あの子に頼られると気持ちいいでしょ?」というセリフは、ヒロインに頼られて気持ちよくなる(承認欲求を満たしている)読者に向けて放たれた痛烈な一言だと思いました。

実際に、雪乃というヒロインは、比企谷に頼りきりになることを酷く嫌い、ちゃんと自立しようと努力しています。ほかの作品ではあまり見られない、〝主人公に頼ることへの懐疑〟を雪乃は持っているのです。

比企谷自身も「助ける」という行為の正当性を考え、単にヒーローとしてではなく雪乃に好意を抱いている一人の個人として、どう向き合うべきかを必死に考えていました。最終的には、助けるヒーロー、助けられるヒロインという立場を超えて、比企谷と雪乃は助け合う関係になりました。最後の合同プロムは、まさに互いに意見を出し合いながら助け合う展開になっていましたよね。

一方的に助けるヒロイズム的な展開を、『俺ガイル』では徹底して批判し、依存の先にある自立した個人対個人の関係を描いています。この点が、単なる願望充足コンテンツではない、あえて成功法を疑い切り込んでいく、『俺ガイル』ならではのアプローチだと思いました。商業作品でありつつ、極めて作家主義(表現主義)の作品でもあるのです。

また、ラノベでは純真無垢なヒロインが求められるという話をしましたが、この点も『俺ガイル』はひっくり返しています。確かに、雪乃も結衣も素直で純粋な女の子ですが、結衣に関しては意外と裏のある人物ですよね。自分の意見を通すために、雪乃に我慢を押し付けるなど、「全部ほしい」がゆえに、案外黒い部分を持っており、その点は第2期のラストから第3期にかけて、しっかり描かれています。

そして、陽乃はそれ以上に深い闇を抱えた人物です。純真無垢とは程遠く、未知の大人(未知の女性)としてちゃんと描かれています。比企谷に対するドキッとする仕草も本気ではなく、からかっていることがほとんど。高校生男子である比企谷から見た時に、とらえどころのない未知の存在として(大人の女性として)描かれています。

表と裏を使い分ける怖い女性としてきちんと描き切っており、「大人の設定だけどなぜか主人公の前だと純真無垢になったり、初心だったりする」ような読者が安心できる女性像を使っていません。ラノベであっても、大人を大人として描き切るところに、『俺ガイル』という作品のこだわりを感じました。

このように、『俺ガイル』は既存作品のフリをしながら、中盤から既存作品の問題点を追及していく、かなり挑戦的な作品なのです。「このままでいいのかお前ら!」という作り手のロック魂を感じ、作家のはしくれとして私も気合を入れ直さなければならないと、強く思いました。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)の感想&考察のまとめ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」エンディング映像

合同プロムの会場で、いろはす結衣小町が会話する場面を見て、いろはすって本当に感情表現が捻じれているなぁ、と思いました。「3年経つとお酒が飲めるようになるから、酔った勢いで、既成事実を……」というくだり。既成事実を作ってしまえと、いろはすが結衣に勧めているわけですが、これ実際のところは、いろはす自身の願望が表れていますよね。

このセリフの直後に、小町が「あの、結衣先輩がお酒飲めるのは2年後では? 3年後っていろは先輩のことですよね?」とツッコミを入れています。ここから読み取れるのは、いろはすとしては、結衣にアドバイスしているつもりが、2年後に酒が飲める結衣ではなく、3年後に酒が飲める自分を基準に話してしまった可能性があるということ。つまり、あのセリフにはいろはす自身の感情が反映されている可能性があります。

直後に、いろはす自身は否定していますが、内心では今でも比企谷に対しての想いの傾きがあり、その気持ちが知らず知らずのうちに前に出てきて、自分を基準にした言い間違えを引き起こしたのだと推察されます。

仮にあれが言い間違えじゃないとなると、いろはすの3年後のプランを聞かされていたわけですから、それはそれで恐ろしい。まぁ、いずれにしても、わざわざ小町にツッコミさせているくらいですから、そこには何か作品としての意図があるはずです。

さて、そんな最後まで複雑な表現が印象的な『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第12話(最終回)の感想&考察を、最後にまとめておこうと思います。

  • 比企谷の思想の根本にあるのは、「疑い」もしくは「問い」
  • 第1期から第2期の中盤にかけて比企谷は、問答法を使いながら相手の矛盾を突いていくソクラテスのような人物だった
  • それまで他者を厳しく問い質してきた比企谷が、第2期の中盤以降、逆に他者から問い質されることになる
  • 「本物を求めずにはいられない」という姿勢に関しては、宮沢賢治に似ている
  • 比企谷は、ソクラテスのように疑い続け、宮沢賢治のように本物を求め続ける人物なのではないか
  • 10代から20代の男性読者をターゲットにしたラノベで重要なのは、読者の「性欲」を刺激することと「承認欲求」を満たすことの2つ
  • 純真無垢な女の子の裸体で性欲を刺激しつつ、女の子に頼られたり好かれたりするシーンで承認欲求を満たすという展開をエピソードの中で適宜繰り返していくことで、読者の願望を満たし続けることが可能になる
  • 『俺ガイル』は既存作品のフリをしながら、中盤から既存作品の問題点を追及していく、かなり挑戦的な作品
  • 助けること(頼られること)で気持ちよくなるヒーロー、助けられることで依存してしまうヒロインという、この物語が持つ構造的な問題を明らかにしようとした作品なのではないか
  • 一方的に助けるヒロイズム的な展開を、『俺ガイル』では徹底して批判し、依存の先にある自立した個人対個人の関係を描いている
  • 高校生男子である比企谷から見た時に、とらえどころのない未知の存在として(大人の女性として)陽乃は描かれている

はい、『俺ガイル 完』の感想&考察は以上になります。

いやぁ、なんだか寂しいですね。

私にとって、『俺ガイル』は特別な作品で、自分の悩みをそのまま書いてくれたような、まさに奇跡的な作品でした。出会った当時は、比企谷と同じく、私も〝ぼっち〟で、人間関係をうまく構築することができず、世の中の嘘臭さ、偽物臭さが嫌で嫌で仕方がありませんでした。

けれど、『俺ガイル』には、そういう偽物臭いものを本物のように偽るのではなく「偽物だ」と、堂々と言う人物が描かれており、偽物に対して違和感を持つことが、決しておかしなことではないことに気づかされました。気持ち悪さ嘔吐感を、捨てる必要はないのだと思うことができました。

物語の進行にシンクロするように、私自身もいろんな偽物を否定しながら、同時に自分の中の偽物と格闘し、今信頼できるもの、今納得できるものを常に追い求めてきました。

そういう納得感を持って生きるための基本を教えてくれたのが、『俺ガイル』でした。『俺ガイル』があったからこそ、本物を諦めなくてもいいのだと、思うことができました。そして、本物を追求する中で見えたことをもとに小説を書き、なんとかデビュー作を出版することもできました。

きっかけは、いろいろありますが、小説を書き始めようと思わせてくれた作品の1つなので、心の底から本当に感謝しています。

『俺ガイル』のミームを受け継ぐものとして、これからも自分の本物を探し続け、そこで得たものを物語の形で届けていきたいと考えています。

みなさんも、どうか〝自分の中の本物〟を諦めないでくださいね。

確かに、本物を探すことはコスパが悪い作業かもしれませんが、自分の人生を歩んでいる実感、生きている実感を得るためには大事なものです。納得して進んでいくためにも、たまに『俺ガイル』の存在を思い出してみてくださいね。

それでは、そんな傑作に感謝を示しつつ、今回はこのあたりでお開きにしようと思います。私の長たらしい記事を毎回読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。また、何か機会があれば、記事を書こうと思います。

では、記事を通して、あるいは作品を通して、またお会いしましょう。

さようなら~。

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