去る11月10日、アニメーション版ゴジラ、いわゆる「アニゴジ3部作」の最終章。
『GODZILLA 星を喰う者』を観てきました。前評判があまりよくなかったので、「大丈夫かな……虚淵っくな展開すぎて、観客が引いちゃう感じなのかなぁ……」とか過剰に過保護に心配しながら、観てきたのですが、いやはや、心配無用とはまさにこのこと!
はっきり言って、凄まじい出来だと思います。
話の構成はもちろん、CGやエフェクト、あと音響も素晴らしかった!
ゴジラvsギドラの迫力あるバトルも見ごたえありましたが、何より、ハルオとメトフィエスの人間的な対立が非常に興味深かった。人間ドラマとして十分楽しめる内容になってると思います。
今回はポリゴン・ピクチュアズが制作しているのですが、『BLAME!』の時も思ったんですけど、ポリゴン・ピクチュアズの映画って音響がやたらと凝ってますよね?
特に、ゴジラが破壊光線みたいなのを口から出すときの音とか、ゴジラの咆哮とか、やたらと重厚感があってリアルなんですよ。『BLAME!』の時も、霧亥(キリイ)が放つ「重力子放射線」の音に重みがあって、聴いてて心地よかったんですよね。あれを聴きたくて、あのシーンは今でもネットフリックスで何回も観てますよ~~
まぁこんな凄い音響のGODZILLAですが、観客の反応は賛否両論って感じでしたね……
というか、そもそも公開2日目なのに、劇場がスカスカだったのはどういうことなんだ?
人気がないからなのか、認知されていないからなのか。。。
みんな、アニゴジ観ようよ。。。
ってことで、今回は『GODZILLA 星を喰う者』の何がどう凄かったのか、私なりにいろいろ好き勝手に話していきます!
ネタバレありなので!まだ観てない人は、この時点で、このページを一旦閉じて、早く劇場に行ってきてください!
観終わってから、読んでもらえると面白いかもです!
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- 地球人→ビルサルド→エクシフ、3種族の一大叙事詩!
- ハルオの驚異的な意志力!だが、強靭な意志は本当に人を救うのか?
- 怪獣と人間が紡ぐ宗教学的終末論!これぞ虚淵っくな脚本術!
- なぜハルオはフツアの村を出たのか?
- 他にも盛だくさん!萌えも!バトルも!ディテールも!
地球人→ビルサルド→エクシフ、3種族の一大叙事詩!
live and die(アニメ盤)/アニメーション映画『GODZILLA 星を喰う者』主題歌
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まず、皆さんに注目してもらいたいのが、このポスター!
ゴジラとギドラが相対し、その下で、主人公ハルオを抱き上げるメトフィエス。
今作で描かれる2つの闘いが、ここに美しく、神々しく、表現されている。
カッコよ過ぎませんか?
というか、今回のアニゴジ3部作って、表記が「ゴジラ」じゃなくて、「GODZILLA」なんですよね。「GOD」なんですよ。つまりは、神として、神話としてのゴジラを描こうという狙いがネーミングの段階であって、このポスターはまさに神話的な何かを思わせる構図やデザインになっていますよね。
ごめんなさい、もうちょっと、ポスターの話をさせてください!
このキービジュアルは、『BLAME!』で光画監督を務めた、ポリゴン・ピクチュアズの片塰満則(かたあま みつのり)さんが担当しています。いやぁ、抜群にセンスいいですよね~
あのですね……ゴジラを取り巻く、ギドラの圧倒的な神々しさは、これが神話であることを物語っていますし、西洋的な「ドラゴン」というよりは、東洋的な「龍」をイメージしているのも奇妙な雰囲気を引き立てていてよい。
それと、意外と目立ちませんが、ハルオを抱きかかえるメトフィエスの構図も最高にいいですよね~。これって、間違いなく、サン・ピエトロ大聖堂に置かれている、ミケランジェロの『ピエタ』ですよね!ハルオとメトフィエスの関係を考えると本当にピッタリなイメージですよ。ピエタって、マリア様が処刑されたイエス様を抱きかかえている彫刻で、「慈しみ」とか「悲しみ」というテーマがある。そこには、マリア様のイエス様に対する深愛が描かれていたりするわけです。
メトフィエスがハルオに対して、抱いている感情って、このピエタにかなり近いものがあると思んですよ。小さなころからハルオを近くで育ててきた存在がメトフィエス。メトフィエスには、ギドラを召喚して、地球を献上するという目的があったわけだけど、その目的とは別に、ハルオという一個人への深い「愛情」を持っている。いや、むしろ「母性」と言えるかもしれない。だから、内面世界でハルオに腕を振りほどかれた時は、本当に驚いた顔をしていたし、目をつぶされて痛々しい姿になりながらも、ハルオの頬に優しく触れる愛情が残っていたわけで。この辺りのテーマ性が、ポスターにガツンとぶつけられていて、私としては、この時点で大興奮なわけです!
しかも面白いのは、ゴジラとギドラには「龍」という東洋的なイメージがあり、ハルオとメトフィエスにはピエタという西洋的なイメージが乗っかっているところです。東洋と西洋の神話がここで結びつき、東西が混合され、アウフヘーベンして「GODZILLA」という新しい神話が誕生している。お見事としか言いようがないですよ~~
さて、ポスターの話はここまでにして、第一章から最終章まで、どんな話だったのか、私自身が確認するためにも、ちょっと簡単に振り返っておきましょう!
全体の構成が見えると、やっぱりよく出来ているなぁと、改めてわかるんですよ。
第一章『GODZILLA 怪獣惑星』
アニメーション映画『GODZILLA 怪獣惑星』 主題歌「WHITE OUT」 (アニメ盤)
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第一章『GODZILLA 怪獣惑星』。突如現れた怪獣ゴジラから逃げるようにして新しく居住できる星を探し始めた地球人、同じ人型種族で驚異の科学技術を持つビルサルド、そして宗教種族のエクシフ。
母星を追われたこの3種族が、同じ宇宙船に乗り、新たなフロンティアを目指す。しかし、居住できるとされていた恒星系e(イプシロン)惑星は、人間が住める環境ではなかった。長旅と食糧不足にあえいでいた人型種族は、もう一度、地球に戻ることを決意する。だが、亜空間飛行で地球に戻った主人公ハルオたちの目の前には、すでに2万年以上経過した後の地球の姿があった。←これは、猿の惑星方式ですよね。
ゴジラに征服された地球を奪還するべくハルオが考案した理論と作戦。途中、地球人同士が対立するものの、ハルオを先頭にして、一致団結しなんとかゴジラを倒すことに成功した。だが、実はそのゴジラは細胞分裂した小型ゴジラで、本体はさらに巨大化しており、全長300mを超える映画史に名を遺すレベルの大怪獣に進化していたのだった――。
ゴジラを倒して、地球を取り戻すのか、宇宙船に引き返して生きながらえるのか、この狭間で揺れる地球人を主体にした話が第一章でした。
第二章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』
第二章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』。300m超のゴジラを前に、途方に暮れる隊員たち。だが、まだ人型種族には、ゴジラに抗う術が残されていた。
闘いの最中、瓦礫に埋もれたハルオを助けてくれたのが、地球で生き残った人間、フツアの民だった。そのフツアの導きを受けて発見した自律思考金属体=ナノメタル。そして、ナノメタルが自己増殖してできた「メカゴジラシティ」の両方を見つけ出すことに、ハルオたちは成功する。かつてビルサルドが開発したこのナノメタルを使って、もう一度ハルオたちは、超巨大ゴジラを倒すために奮起する。
しかし、ナノメタルは生命を糧にして、力を得る金属体だった。その禍々しい科学技術によって、次々と隊員たちがナノメタルに吸収されていき、ヴァルチャーを操縦していた地球人のユウコも取り込まれていく。ハルオは、ナノメタルと同化してゴジラを倒すのか、それとも作戦を放棄してナノメタルの暴走を止めユウコを助けるのか、究極の選択を迫られる。ハルオはユウコを助ける選択をとり、作戦を放棄。作戦は失敗し、失意のどん底に落とされるハルオだった。
これはまさに、ビルサルドという種族のあり方と、ハルオという人間のあり方が真っ向から対立した話でした。
第三章『GODZILLA 星を喰う者』
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そして第三章『GODZILLA 星を喰う者』では、ゴジラ討伐作戦に失敗し、さらに、植物状態と化してしまったユウコの姿を見て、「ゴジラにはもう勝てない……」と絶望するハルオから話がスタートします。
生き残った人間たちの間に、広がる虚無感と絶望感。それを好機ととらえた宗教種族エクシフのメトフィエスは、ハルオの生還は神の与えた「奇跡」だと称え、着実に自らの宗教の信者を増やしていく。誰もかれもがメトフィエスの唱える信仰に染まっていく。
こうしてメトフィエスは、人々の信仰と命を捧げることで、究極の目的であるギドラの召喚に成功。しかし、ギドラはゴジラを倒すどころか、地球もろとも破壊しつくす超次元的な存在だった。エクシフの目的は、文明化された生物へ破滅という名の救済をもたらすことだったのだ。
ゴジラvsギドラ、そして「救いなんていらない!」と抗うハルオvs「滅びこそ最大の救済」と唱えるメトフィエスの2つの闘いが繰り広げられる。今作は、高度に文明が発達したエクシフを主体に描かれる物語になっていました。
つまり、この一大叙事詩は、第一章「地球人」、第二章「ビルサルド」、第三章「エクシフ」の順に、主体となる種族が交代して展開する構成になっているのです。
そして毎回、ハルオは対立します。第一章では、ゴジラに怯える地球人vs ハルオ。第二章では、人間性を失ってまでゴジラを倒そうとするビルサルドvsハルオ。第三章では、滅びの救いを成就させようとするエクシフvsハルオ。
とにかく、ハルオは闘い続けます。この主人公の意志の強さが、今シリーズの見所になっていると私は思っております。
ハルオの驚異的な意志力!だが、強靭な意志は本当に人を救うのか?
誰もかれもが、自分で判断できず、自立心を失って、現状に留まろうとしたり、信仰に縋ったりしていく中、主人公ハルオだけは最後まで自立心を失いませんでした。こういうところは、進撃の巨人のエレンに似ていますよね。
じゃあ、この自立心は何によって成立しているのでしょうか?
それは、ゴジラに対するハルオの強烈な「怒り」と「憎しみ」と言えます。
「両親を奪ったゴジラが許せない!」
「人間の尊厳を奪ったゴジラが許せない!」
こうしたゴジラへの強く深い「怒り」や「憎しみ」を源泉として、ハルオの強靭な自立心や意志力が形成されているのです。
映画の冒頭で、メトフィエスが「自立して行動できる人間は珍しい」と語っています。まさに、今作はその点も大きなテーマになっていたように思います。我々はついつい、自分で考えることをやめて、他人に判断を委ねてしまうことがあると思います。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』みたいなことですよね。
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人はどうしようもない状況に置かれた時、自分で考える自由を放棄して、自分以外の何かに考える自由を委ねてしまう。第一章、第二章でハルオの作戦にみんなが従ったのも、今作でメトフィエスの言葉に惑わされて多くの人間が生贄にされてしまったのも、考える自由を放棄したがっている民衆の心理をよく表現しているわけです。ハルオの徹底した意志力を強調するための演出効果の意味合いもあったとは思いますが、その他大勢の人間たちの薄弱な意志力に、人間の本質を感じてしまいました。
「人は神の言葉を信じない。人は人の言葉しか信じない。だから、英雄が必要なんだ。英雄を通して神の意志を伝えなければならない」みたいなことをメトフィエスは語っており、その英雄として選ばれたのが類まれな意志力を持つハルオだった。
こんな風に書いていると、「強い意志を持っていることが正義!」みたいに思われるかもしれませんね……。しかし、次の見出しでも語りますが、虚淵玄はそんな単純な正義を主張したりはしないんですよ。毎回思いますが、虚淵玄の思想は常に両義性を持っているんです。だから、ハルオの「自立心」や「意志力」にも良い面と悪い面がきちんと設定されています。
自分の意志を確立しているところは当然ながら良い面です。しかし、こうも考えられます。もし、ハルオが強い意志を持たず、ゴジラ討伐へ乗り出さなかったら、宇宙船を破壊されることも、ゴジラとの戦闘で大量の人間が死ぬこともなかったはずです。少なくとも食糧が無くなるまでは、もう少し長く生きながらえることができたんです。しかも、結局ゴジラを倒すことはできなかったわけですし。
ハルオは確かに、みんなに希望を与えた。数少ない同士しか生き残らなかったが、彼らが地球で生き延びる術を見つけ出すきっかけをハルオは与えた。だが、そのための犠牲はあまりにも多すぎた。
さらに言うと、ハルオを支えているのは「怒り」や「憎しみ」なんです。これは、人を盲目にしてしまう感情です。
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それはフツアとの会話でも表現されています。フツアの民は、「勝利=生きること」、「敗北=死ぬこと」と定義しています。生き残れば、それだけで価値があるし、文字通り勝ちなのです。ですが、ハルオはそうは考えません。自分たちの故郷を奪ったゴジラを倒すまでは「勝利」にならない。そして、敗北とは逃げること。たとえ、命を投げ捨てでもゴジラを倒さなければならない。そういう強迫観念に支配されています。
ハルオの意志力は「怒り」に支えられているがゆえに、復讐を遂げるまで自分自身を説得できないんです。だから、最後のシーンで、ハルオがユウコを連れて、ヴァルチャーで飛び立つ前、ミアナと「ゴジラを憎いと思うか?」という会話をするわけです。そして、フツアには「憎い」という概念がないことを知り、ハルオは憎しみについて「知らなくていいものだ」と語ります。
ハルオは、その意志の強さ、怒りや憎しみの強さが破滅を招くことを理解していたのです。だが、それでもなおハルオの意志は「ゴジラを倒せ!」と疼く。その疼きが、ハルオをゴジラへの特攻へ駆り立てた。おそらく、そうしなければ、これまでの自分の気持ちとの決着がつけられなかったのです。ちなみに、「なぜハルオはフツアの村を出たのか?」については、裏テーマがあるので、そちらは後程語りますね。
とにかく、ここには、意志を持つことは「リスキー」なんだというテーマが描かれています。意志を持たず、誰かに流されていたら、リスクをおかさずに済みます。だが、それでは現状は何も変わらない。安定と不安定、安全と危険、維持と変革、その相克の中で、私たちは生きています。映画を観ながら、この両義性の中で、私自身揺れ動いてしまいました。人は意志を持つべきなのか、誰かに従っているだけがいいのか、そんな途方もない問いが隠れているような気がしました。
怪獣と人間が紡ぐ宗教学的終末論!これぞ虚淵っくな脚本術!
「おい! 新作のゴジラって、虚淵玄が脚本なのかよ!」
こんな風に、虚淵玄という名前を見て、映画館に行った人って、たぶん結構いますよね?かくいう私も、ゴジラの新作というよりは、虚淵玄の新作と思って観に行った人間だったりします。
さて、今回はどんな虚淵っくな展開が待ってるんだろ~
なんて暢気に観に行ったら、ゴジラで終末論みたいなことをやってるではありませんか!面白いことを考えるのね、このオジサンは。。。
杉田智和さんの演じるマーティンが、「人間はゴジラという究極の生命を生むための前座に過ぎなかったのではないか」 というセリフをしゃべります。この時点で、グッと持っていかれるところがあります。原水爆実験などによる放射能で発生したのがゴジラなので、人間がゴジラを作り出したと言うこともできるし、人間はゴジラを作りだすために文明を発展させてきたとも言えます。人間の技術が、人間を滅ぼすという非常に皮肉めいた話です。
ですが、今作ではもう一歩、面白いところに踏み込んでいると私は考えています。
人間はもしかしたら「滅びたがっている」のかもしれないということです。
原爆もそうですし、ゴジラもそうですが、人間が原因で生まれたものの中には、人間を滅ぼすものが含まれている。この映画を観ていると、それらを作り出してしまうのは、根底に「滅びたい」あるいは「壊れてもう一度やり直したい」という願望が人間の奥底にあるからなのではないかと思うのです。
あ、いつの間にか、なんか『空の境界』みたいなこと言ってました。。。
そして、最終的な滅びの象徴としてギドラが登場する。メトフィエスが率いるエクシフは、人間の祈りと命を捧げることで、ギドラを異次元から呼び寄せ、地球を供物として差し出す。メトフィエスは、この滅びこそが、人間にとっての「救済」なのだと説く。「すべてから解放されたい」そんな人間が持っている根源的な欲求を叶える存在として、ギドラを登場させているわけです。
確かに、古今東西、どこにも破壊神的なものはいますし、終末論みたいなものはどの宗教にも見られる。こうした終末論の象徴として、ゴジラよりさらに恐ろしいギドラが出てくる。こういう背景をそれとなく、メトフィエスは説明してくるものだから、私もなんだか、入信しちゃいそうになっちゃいましたよ……(笑)。おそろしい、おそろしい。。。
さて、私が虚淵っくだなぁと思ったのはもう1つありまして――。
先ほども触れましたが、虚淵玄さんの特徴として、言えるのが「両義性」だと私は思っています。
私が面白いと感じたのは、やはりハルオとメトフィエスの関係です。劇中で2人は間違いなく対立する存在だし、内面世界で、ある種の心理的なバトルを繰り広げています。じゃあ、この2人は「完全に憎しみ合っているのか?」と言えばそうではないですよね。
メトフィエスは明らかに、ハルオに対して愛情を持っていますし、ハルオもメトフィエスに対して愛情を持っているんですよ。だからこそ、闘いが終わった後、ハルオは涙を流しながらメトフィエスを抱きしめるのです。「憎い」でも「愛しい」、ハルオはこの「愛憎」の中に放り込まれる。あの2人の間には、一言では言えない関係性があるわけです。
いやぁ、しかもですね……実はゴジラとハルオの関係も「愛憎関係」なんですよ。まぁ、ゴジラがどう思っているかはよく分からんですが、ハルオのゴジラに対する執着はもはや、「憎しみ」だけではなく「愛情」が含まれているように思えます。「ゴジラに自分たちの存在を思い知らせたい!」という願望は、ゴジラの絶対的な存在を認めているからこそ成立する感情ですから、ハルオはゴジラに対して、何かしらのプラスの感情を持ってしまっていると思うんですよ。
というか、ゴジラもハルオも「孤独」という共通点を持っていますしね。圧倒的な力を持つゴジラ、そして、驚異的な意志を持つハルオ、どちらも一人ぼっちなんですよね~。間違いなく敵対しているんだけれど、間違いなく似た者同士なんですよ(笑)
この辺りの、相克がまさに虚淵っくだな、としみじみ感じてしまいました。
私自身、創作人間の端くれですから、単純化せずに、人の相克を描くように心がけようと思いました~~
なぜハルオはフツアの村を出たのか?
ギドラを追い払った後、ハルオたちはフツアの民と共同生活を始める。まるで、ゴジラさえもいなくなったかのような平穏な日常がそこにはあった。しかし、ある時、マーティンが、ヴァルチャーを修理し、再起動に成功する。その後、ハルオは何かに突き動かされるようにして、ヴァルチャーに植物状態のユウコを乗せて、ゴジラへ特攻する。
なぜ、ハルオはフツアの村を出て、特攻なんてしたのだろうか?
私もこれは疑問でした。この疑問の答えとしては、すでに上記で説明した「自分の気持ちと決着をつけるため」という理由が1つ。
そして裏テーマとして、旧約聖書の「失楽園」があるように思えるのです。
そもそも、このアニゴジ3部作自体が、失楽園、あるいは楽園追放のテーマを扱っているような気がしてならないのです。科学技術が発展し、「原子力」という凄まじい力、ある種の「果実」を手に入れたことを罰するように、ゴジラが人間を滅ぼしていく。禁断の果実を食べてしまった人間を、地球という楽園から、ゴジラが追放したわけです。
ハルオたちは、その失った楽園を取り戻そうとしたのです。
で、実は地球にはまだ楽園が残されていたことをハルオは知ります。それがフツアの村だった。これは間違いなく楽園なんです。ですが、ハルオは、その楽園を自分の意志で出て行ってしまう。ヴァルチャーという超科学が、楽園を破滅させる「果実」であることをハルオはよくわかっていたし、自分の「怒り」というマイナスの感情が、楽園に悪影響を与えてしまうこともわかっていた。
フツアの村には、そういった感情はなく、自分の存在がフツアの秩序を乱してしまうことを、ハルオは理解していたのかもしれません。だから、この美しい楽園を穢さないために、秩序を乱す自分とユウコとヴァルチャーで、ゴジラへ特攻する。再び同じようにフツアの民が「失楽園」の地獄を体験しないよう、ハルオは楽園から離れることを決意したのではないでしょうか?
エンドロールのあとに、フツアの民が焚き木をしながら、「お怒り様」という形でヴァルチャーの木造模型みたいなものを祀っていますよね。これは、「怒り」という感情を自分たちが持たないように、怒りを概念化し神様として祀り上げていると考えられます。
そういえば、虚淵玄さんは、『楽園追放 Expelled from Paradise』という作品で脚本を手掛けてますよね。『楽園追放』なんですよ~~。このあたり、繋がってんじゃないかなぁ、という穿った見方をしてみる私であります!
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他にも盛だくさん!萌えも!バトルも!ディテールも!
もうですね、魅力を語り始めると、キリがない。
例えば、フツアの民のマイナとミアナ。この2人は、いわゆる萌えキャラ的なルックスで、とにかく可愛らしい。しかも、うまいなぁ、と思うのは、第二章で警戒心マックスだったマイナが、実は「恐怖におびえる女の子」として最終章で、主人公に甘えてきたりするのですが、章をまたいだツンデレがなかなかの破壊力を持っておりまして、惚れた腫れたの話ではないけれど、ドキドキするのですよ。
あとですね、個人的に、「いいね~」と思ったのは、「E=mc²」の式が出てきたところですよね。原子力を生む端緒となったアインシュタインの特殊相対性理論。そこで出てくる、「E=mc²」。そして、ゴジラは放射能の影響を受けて誕生した生命体ですので、物語のリアリティを担保するのに、この式は一役買っているような気がします。しかも、理論物理学者がきちんと、E=mc²に至るまでの式を書いていたりして、細かいところに命が宿ってるなぁと、とことん感じるのです。
ゴジラvsギドラの神秘的な闘い。そして、内面世界で登場するモスラ。
物理世界で闘うゴジラと、精神世界で闘うモスラという形で、きちんと闘うフィールドを整理していたので、怪獣が複数出てきたのに、ごちゃごちゃせず、それぞれの闘いを楽しむことができました!
なんというか……ほかの人のレビューとか見ると、ものすごく悪口だらけなので、怖いなぁと思いつつも、私は面白いものは面白いと言いますぜ!
そんな悪く言わないであげてよぉ。。。
あ、そうそう、面白かったんで、戦利品をゲットしますた!
パンフレットと、ファイルの2つです。
ファイルは開くと、第一章、第二章、最終章のキービジュアルが施されてます。
カッコ良いですね~~。改めてみると、最終章の、このDNA型のギドラって、意味深で面白いですよね。うーん、観返したら、またいろいろ発見があるかもしれないなぁ、なんて思い始めてきましたよ。
はい!
ということで、今回はこのくらいにしておきまーす!
なぜか、メチャクチャ評判悪い『GODZILLA 星を喰う者』ですが、私はとても興味深く楽しませていただきました!
皆さんも、興味があったらどうぞ~~
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