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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話の感想&考察!自己嫌悪を他人にぶつける雪ノ下陽乃

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話の画像
©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完
『颯爽と、平塚静は前を歩く。』
 

「共依存なんて簡単な言葉でくくるなよ。君の気持ちは言葉一つで済むようなものか?」 

白状すると、私はこの平塚先生の言葉で泣きました。

確かに、比企谷たちは、陽乃の言う「共依存」の関係になっているのかもしれません。ですが、陽乃は比企谷たちが歩んできた道のりのすべてを把握しているわけではありません。

断片的に知っている情報を繋ぎ合わせて、偽物を演じてきた自分と重なる部分を拾ってきて、君たちは「偽物」で「共依存」だと言っているに過ぎない。比企谷や雪乃結衣が本当に何を感じているのか、その彼ら自身しか分からない〝本物〟を陽乃は知らないし、知りえない。ならば、比企谷たちは、自身の気持ちを丁寧に一つひとつ紡ぎだし、陽乃も知らない自分の中の本物を見つけ出す必要があります。

しかし、比企谷は陽乃に突きつけられた「共依存」という言葉に抗いたくて、陽乃から認められたくて、「共依存」という言葉に縛られることになってしまった。陽乃という客観に採点を仰ぐ、陽乃の採点に依存する状態に陥ってしまったのです。これがそもそもの間違いだったのです。

そして、その間違いに気づかせてくれたのが、平塚先生です。他人の言葉ではなく、自分の言葉で自分の気持ちを見つめなおすことの大切さを教えてくれたのです。「共依存」なんて小さな枠の中に収まるような気持ちじゃないはずだ。他人に自分の気持ちをカテゴライズされてはいけない。一言でまとまらないなら、二言で。二言でまとまらないなら、さらに多くの言葉で。少しずつでいいから、自分の気持ちを形にしていくことで、陽乃も知らない比企谷自身の本物が見えてくる。そういう本物を導き出すための姿勢を、平塚先生は教えてくれたような気がします。

『俺ガイル』の世界だけじゃなく、現実世界でも私たちは、日々、さまざまなカテゴライズに縛られています。他人から、世間から、「あなたはこうだ」と枠を当てはめられて、「そうなのかもしれない」と、何となく納得させられて、ズルズルとそのカテゴライズにハマっていってしまう。

けれど、よく考えれば、その枠からはみ出る何かがあったはず。それをしっかり見つめて、自分の言葉で形にしていくことにより、自分が今何を大事にしているのかが見えてくる。他人から拍手される自分ではなく、自分が納得できる自分を探す作業。そういう自分の人生(他有化されない人生)を生きるために必要な考え方を、『俺ガイル』は教えてくれているように思います。

決して他人事ではないなと思い、ついつい涙してしまいましたよ。いやぁ、響いたなぁ、ほんとに。平塚先生は最高の教師ですね。

さて、そんな『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話。今回はラスボス・雪ノ下陽乃の自己嫌悪について、一色いろはの心情について、いろいろ語っていこうと思います。ネタバレ全開で考察します。お暇な方はぜひご覧ください。

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【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話のあらすじ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」オープニング映像

卒業式が終わり、ついにプロムが始まった。比企谷は裏方でプロムの運営に協力することになった。それぞれが様々な思いを抱えながら、プロムは順調に進み、無事終了。

打ち上げをするなか、比企谷たちの前に雪乃の母陽乃が現れる。陽乃の仲介を得て、雪乃は「父の仕事に興味がある」という気持ちを、母に伝える。前向きな回答がもらえたかと思った矢先、陽乃から「私は納得してない」と告げられる奉仕部の三人……。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話の感想&考察① 一色いろはのアンビバレントな心情

『俺ガイル』に登場する人物に共通するのは、矛盾した感情を持っているという点です。例えば、雪乃は「比企谷に頼りたい」という感情を持ちながら、「自立したい」とも思っています。雪乃はこの矛盾した感情に挟まれて苦しくなっている状態です。これがいわゆる「葛藤」というものです。

基本的に、ドラマは葛藤と対立によって成立しているのですが、『俺ガイル』では、分かりやすい「善vs悪」という対立構造を使わずに、個人の中にあるAとBという矛盾する感情に葛藤する姿を描いています。表面的な対立というよりは、人物の葛藤をメインに据えて、一人ひとりの心の揺れを丁寧に描いている作品なのです。

比企谷においてもそれは同じで、「このままの関係を維持したい」という思いと、「決着をつけて本物を手に入れたい」という相反する気持ちを抱えており、この2つで揺れている状態です。

本来は、どちらかを選ぶ必要があるのですが、プロム対決という方法でなんとなく本物であることを演出しながら、実際は現在の関係を維持する方法を選んでしまいました。そして、陽乃はこの矛盾を見逃してくれませんでしたね。「本物のフリをして、偽物であることをごまかしている」というのが陽乃が指摘したかったことだと思います。

本来、この2つは同時に存在しえないのに、存在するかのようにごまかしてしまったところがあり、比企谷自身もその偽りに気づいていた節があります。

君は酔えない」とは、つまり「君は偽物を本物だと思い込むことができない」という意味だと解釈できます。

このように、単に葛藤している姿を描くだけでなく、葛藤から逃げる手段として、無意識に矛盾する感情をまるで存在しなかったかのようにしてしまう人間の本質までも、『俺ガイル』では描き出しているわけです。いや……本当にラブコメですか、これ?

さて、そんな「葛藤」にフォーカスしている『俺ガイル』ですが、一色いろはについても、これは同様に言えることです。

今回の第10話でいろはは、比企谷に対して「私が言い訳を作ってあげてもいいんですよ」と挑発的な発言をしていました。いつもの〝あざとかわいい〟場面として処理することもできますが、いろはの葛藤が現れていた場面として解釈することもできます。

直前、比企谷と雪乃が話しているシーンがあったと思います。比企谷は、雪乃から「頼られたらあなたはきっと助けるわ」と言われます。シーンが変わり、いろはとの会話において、先ほどのセリフが放たれます。それに対し、比企谷はモノローグにて「一色が本当に本気で生徒会を手伝ってくれと言ったら、俺が断れないことは分かっていたろ。なのに今みたいな手練手管を使って……」と語っています。

シーンをまたいで、比企谷が「頼られたら助けてしまう人間」であることが示されています。そして、比企谷がそういう人間であることは、いろはもよく分かっています。

いろはとしては、比企谷と一緒に生徒会活動をしたい(or比企谷と一緒にいたい)と思っています。しかし、同時に比企谷とは距離を取らなければいけないことも分かっています。なにせ、いろはは、比企谷と雪乃が心を通わせている場面(対決を宣言する場面)を目撃しているわけですから。比企谷と雪乃の気持ちを知っており、そこに自分が割って入る余地などないことを知っています。そして割って入ってはいけないことを認識しています。いろはは「比企谷と一緒にいたい」という想いと、「比企谷と距離を取らなければならない」というアンビバレントな感情を持っているわけです。

ゆえに、いろは自身が持つ「一緒にいたい」という気持ちを表現しつつも、比企谷と雪乃の関係に介入しないように、あえて比企谷が素直に助けるとは言わないような言い回しを選択しているものと推測されます。「私はあなたと一緒にいたいです。でも、私意外の人のことを好きなのは知っているから、私は距離を取ります」という想いがあったのかもしれませんね。あの一言の中に、いろはの「葛藤」と、その末の「回答」が提示されているのではないかと、考えられます。

『俺ガイル』って、一言一言が本当にしっかり練られているんですよね。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話の感想&考察② 自己嫌悪を他人にぶつける雪ノ下陽乃

第10話は雪ノ下陽乃の本質があらわになった回でしたね。

ずばり、陽乃の根底にあるのは〝自己嫌悪〟なのかもしれないですね。第10話の終盤、比企谷が陽乃を追いかけて「なんで無理なんですか?」と聞く場面。

私が20年もそうやって騙し騙しやってきたからよくわかる。そんな〝偽物〟みたいな人生を生きてきたの」と苦悶の表情で語る陽乃。自分の人生を偽物と切り捨て、それを苦しそうに語る姿から、陽乃が誰よりもまず自分を批判しているということが分かります。そして、このセリフはこれまで比企谷たちに浴びせかけてきたセリフと重なります。

自分が嫌いで、そんな嫌いな自分と似ている比企谷に対して嫌悪をぶつけてきたのでしょう。しかも、自分と似ているがゆえに、自分に向けるような愛情もまた抱いている。ゆえに激しい嫌悪感強い期待感の両方を持って比企谷に関心を寄せているのだと推察されます。

甘いことを言ったり、厳しいことを言ったりと、陽乃の発言が安定しないのは、陽乃が比企谷に自分を重ねて、愛憎の両方を向けているからでしょう。

陽乃は親により幼少期から偽物であることを強いられてきました。小さなころから、親の仕事という本人にとってはどうでもいい他人事を「自分事だと思え」と強要されて大きくなってしまった。それはつまり、常に他人事の人生を生き続けながら、それを「本物」だと思って騙し騙し生きていくことを意味します。他人事(偽物)を自分事(本物)だと思い込んで(酔って)生きることを強いられてきたわけです。けれど、陽乃は酔えない人間であるがゆえに、偽物を自分の本物であると割り切ることができずにもがいています。

陽乃は自身の本物を追及することを許されないまま大人になってしまい、空っぽの状態にされてしまったのです。その空っぽにされたことへの怨嗟、そしてお前らだって偽物だと攻撃することで、空っぽなのは自分だけじゃないと安心しようとする気持ち。

本物があってほしい」と願いながら、偽物を強要された人間として「本物などあってたまるか」というアンビバレントな感情が併存しており、それもあって比企谷たちへの態度が安定しないのかもしれません。応援したいのか、否定したいのか、陽乃自身もよくわからなくなっている気がします。

いずれにしても、〝自己嫌悪〟が根底にあるのは間違いないでしょう。自己嫌悪の延長で比企谷たちをとらえているから、「共依存」なんていうマイナスの言葉しか思い浮かばないんですよ。

それは、陽乃自身が親に依存しているという自覚を持っており、その自分と重なる大嫌いな「依存」の部分だけを抽出して「あなたたちは共依存だ」と言っているのでしょう。

陽乃って、一見悪役に思えますが、実際は現在進行形で苦しめられている被害者なんですよ。騙し騙し生きて自分の本物を見失う。これは決して陽乃だけに起こっている現象ではないですよね。

学校で、会社で、うまく生きるために、何かしらの偽物を羽織りながら、偽物の仮面を被りながら、それを本物だと言い聞かせて生きている人は少なくないはずです。そういう境遇のある人に、陽乃の行き場のない悩みは、かなり共感できるのではないでしょうか。

ただ、私が思うのは、陽乃は確かに偽物を演じ続けてきた、他人の人生を生きてきたのかもしれないですが、けれど、その気持ち悪さ違和感を自覚しているのだから、それ自体は彼女の中の「本物の感情」だと思うのです。

しかし、陽乃はその違和感の追及を諦めている節があります。自分を「偽物」の一言で片づけて、本物を持っていないことにしている気がします。確かに、家の事情やこれまでの経緯などから、簡単に現状を変えることはできないのかもしれませんが、平塚先生が「一言でくくるな」と言っていたように、陽乃の人生は「偽物」なんて寂しい一言で片づけられるようなものではないはずです。

自分がいま感じていることを一つずつ丁寧に追及していくことで、陽乃だって本物を見つけるすべはあるような気がします。「本物なんてあるのかな?」と悲しげに呟いていましたが、その「本物が見つからないことへの悲しみ」こそ、その感情の揺らぎこそ、信用できるものなのではないでしょうか。

陽乃は客観的に証明可能な「本物」を求めているようですが、そうではなく、自身の中の主観的な採点不要の「本物」に目を向けてほしいなと、勝手ながらに思ってしまいました。

陽乃は個人的にかなり好きなキャラクターなので、ちょっと必要以上に感情移入してしまいましたね。

【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話の感想&考察のまとめ


「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」エンディング映像

今回も陽乃に「君は酔えない」 と言われてしまった比企谷ですが、よく観察してみると、比企谷って大勢のときは感情を表に出さないんですが、一対一の場面だと割と素直に感情を表に出すんですよね。

例えば、今回で言えば、いろはと二人きりの場面で、お互いに顔を見合わせて笑っていましたよね。あんな素直な笑い方するのって、比企谷にしては珍しいですよね。

けれど、結衣と一緒にいるときも、割と自然な笑みを浮かべていたり、雪乃と話すときも楽しげな会話を繰り広げています。もしかすると、比企谷は一人一人とちゃんと向き合いたい人物なのかもしれないですね。だから複数人でわちゃわちゃしている状況には酔えないけれど、一対一の状況では意外と素直に感情表現ができる(酔える)のかなぁと邪推してみました。私も多人数が苦手で、一対一だと楽しく話せるタイプなので、なんか共感しちゃいますねぇ。

さて、それでは最後に『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第10話の感想&考察をまとめておこうと思います。

  • 『俺ガイル』は、表面的な対立よりも、人物の葛藤をメインに据えて、一人ひとりの心の揺れを丁寧に描いている作品
  • 単に葛藤している姿を描くだけでなく、葛藤から逃げる手段として、無意識に矛盾する感情をまるで存在しなかったかのようにしてしまう人間の本質までも、『俺ガイル』は描き出している
  • いろはは「比企谷と一緒にいたい」という想いと、「比企谷と距離を取らなければならない」というアンビバレントな感情を持っている
  • 陽乃の根底にあるのは〝自己嫌悪〟なのかもしれない
  • 陽乃は自分のことが嫌いで、そんな嫌いな自分と似ている比企谷に対して嫌悪をぶつけてきたのかもしれない
  • 甘いことを言ったり、厳しいことを言ったりと、陽乃の発言が安定しないのは、自分に対して愛憎の両方を抱くように、自分と似た存在である比企谷にも愛憎の両方を持っているから
  • 「本物があってほしい」という気持ちと、偽物を強要された人間として「本物などあってたまるか」というアンビバレントな感情が併存するために、比企谷たちへの態度が安定しないのではないか
  • 陽乃自身が親に依存しているという自覚を持っており、その自分と重なる大嫌いな「依存」の部分だけを抽出して「あなたたちは共依存だ」と言っている

はい、第10話の感想&考察はこのあたりで終了とします。

平塚先生のお言葉が素晴らしすぎて、第11話で引き続きどんなお話をしてくれるのか楽しみですね。

第11話もすぐに鑑賞して、またブログを更新します。

それでは、次回またお会いしましょう。

さようなら~。

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