「話すだけで伝わらないってそうだなって思う。けど、その分、私が分かろうとするからいいの」
由比ヶ浜結衣の犯したミスは、奉仕部の〝翻訳家〟になってしまったことです。
ご存じのとおり、比企谷と雪乃は自分の気持ちを伝えるのがかなり下手な人物です。簡単に言えば、二人はいわゆる〝コミュ障〟です。そんな二人が滞りなくコミュニケーションを図るためには、「ヒッキーはこう言いたいんだよね」、「ゆきのんはこう言いたいんだよね」と、互いの気持ちを翻訳してくれる人物が必要です。その翻訳家の役割を担わされてしまったのが、由比ヶ浜結衣なのです。
遠く離れた席に座る(気持ちが離れている)比企谷と雪乃の中間に立ち、二人の言わんとしていることを「私が分かろうとする」ことで、コミュニケーションの代わりをしてくれていたわけです。
そして、比企谷も雪乃もそれに頼ってきた(陽乃風に言えば〝依存〟してきた)節があり、ゆえに陽乃は結衣に向かって「ここが一番の問題だ」と苦言を呈したのでしょう。一対一のコミュニケーションが成立していないことを、陽乃は看破していたのです。結衣自身も二人から頼られていることの気持ちよさを感じており、依存されている状態に依存していたところがあります。陽乃が言うところの〝共依存〟は、比企谷と雪乃の間だけではなく、むしろ結衣と他二人の間に色濃く存在していたのです。
今回、結衣は比企谷にフラれてしまいましたが、けれど、ここからがスタートな気もします。結衣は翻訳家としての役割を剥奪された状態ですから。次に会うときは、奉仕部の翻訳家ではなく、一個人として登場するはずです。
役割に囚われない個人対個人の関係から、結衣がもう一度比企谷にアタックする可能性は大いにあると思います。役割を脱いだ(ペルソナから解放された)結衣が、今後の人生で比企谷とどう関わっていくのか、かなり気になりますね。
さて、そんな『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話。比企谷が決意を固めて、奉仕部の関係性が大きく変化した回でしたね。今回は、陽の平塚先生と陰の陽乃先生から得た学びと、比企谷と雪乃の〝助け合う〟関係について、ネタバレ全開で考察しています。お暇な方はぜひご覧ください。
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- 【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話のあらすじ
- 【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察① 陽の平塚先生と陰の陽乃先生が教えてくれた〝三つ〟のこと
- 【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察② 〝助ける〟から〝助け合う〟関係へ
- 【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察のまとめ
【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話のあらすじ
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」オープニング映像
無事、終了したプロム。しかし、陽乃は納得していなかった。陽乃に突きつけられた「共依存」から抜け出せず悩む比企谷。そんな比企谷に平塚先生は、「共依存なんて簡単な言葉でくくるなよ。君の気持ちは言葉一つで済むようなものか?」と言い、比企谷にひとつの気づきを与える。
平塚先生の教えから、比企谷は自身の感情に向き合い、この「偽物」の関係を終わらせるために、決心する。放課後、結衣とともに公園に訪れた比企谷は、これからのことについて、自分の気持ちについて、本当の言葉を紡ぎ出す。
【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察① 陽の平塚先生と陰の陽乃先生が教えてくれた〝三つ〟のこと
比企谷には、陰と陽の二人の教師がいます。それが〝陽の平塚先生〟と〝陰の陽乃先生〟です。第11話では、この二人から学んだことを比企谷が取り入れて実行していく様子が描かれていました。平塚先生と陽乃のどちらも大切なことを教えてくれていたので、その点をここでは深堀したいと思います。
陽の平塚先生が教えてくれた〝二つ〟のこと
冒頭、平塚先生と比企谷がバッティングセンターで会話する場面。平塚先生は、二つの大事なことを教えてくれました。一つは、「自分の答えは自分の中にしかない」というもの。
「自分の中に答えはあるのに、それを出すすべを君は知らないだけさ」
「一言で済まないなら、いくらでも言葉を尽くせ。言葉さえ信頼ならないなら、行動も合わせればいい。どんな言葉でも、どんな行動でもいいんだ。その一つひとつをドットみたいに集めて、君なりの答えを紡げばいい」
いやぁ、名言過ぎる。
平塚先生は「答え」を示してくれる人ではありません。しかし、「答えの出し方」については丁寧に教えてくれるのです。「君はこう思っている」とか、答えの押し付けをしてくるのではなく、「こう考えてみたらどうだ?」と、答えへ至るための方法論を示してくれる。ゆえに、生徒は答えを自ら導き出すことができる。
雪乃との向き合い方を、拳を突き出す仕草で教えたように、平塚先生は問題の「答え」ではなく「解き方」を教えることで生徒を導いてくれる。そして、何より比企谷なら「答え」を導き出せると信じている。生徒を信じて、あくまでも生徒の主体性を尊重しながら、ヒントを与える。まさに理想的な教師ですよ、平塚先生は。
実際、比企谷は平塚先生のおかげで、「共依存」という一言から解放され、自分の中にある答えを見つめていき、それを伝えるようになりました。陽乃に認められようとする状態から自由になり、自分の中に存在する答えを追及できるようになったのです。
合同プロムの件で呼び出しを受けたとき、比企谷は陽乃を見ながら、「今までさんざんあんたに踊らされてきたんだ。最後くらいこっちのペースに付き合えよ」とモノローグを展開していました。
「踊らされてきた」という言葉から分かる通り、比企谷はこの時点で、自分が「共依存」という陽乃の言葉に振り回されていたことに気づいています。それに気づけたのは、平塚先生の「共依存なんて言葉でくくるなよ」や、上記で引用した言葉のおかげです。平塚先生がいなければ、比企谷は永遠に共依存という言葉から解放されなかったことでしょう。そして、陽乃という採点者から自由になれなかったでしょう。
しかし、比企谷は陽乃という他者に答えを求めるのではなく、自分の中に答えを求めるほうへシフトチェンジし、自分が何をすべきなのか理解しました。「自分の答えは自分の中にしかない」という平塚先生の教えは、確かに生徒の心に届いていたようですね。
そして、もう一つ、平塚先生は「一言で済ませるな」という考え方を提示していました。
「君の気持ちは言葉一つで済むようなものか?」 という言葉を受け、比企谷は結衣と話すときも、雪乃と話すときも徹底的に言葉を尽くすようになりました。自分の中にある複雑な感情を、言葉だけでは伝えきれない混沌とした感情を、丁寧に紡ぎ出そうとする姿は印象的でしたね。
特に、「義務」という言葉に逃げそうになる自分を否定し、本心に近い言葉をひねり出そうとする姿が印象に残りましたね。以前、いろはから雪乃を助ける理由を問われた時も、比企谷は「義務」に近い言葉で返答しており、平塚先生に問われた時も「約束したから」と答え、自分の本心を「義務」という言葉でごまかしてきた節があります。
そんな自分を自覚した比企谷は、第11話の結衣と話す場面で、「義務」という言葉を使った瞬間に自分のほほを叩き、「俺はあいつとかかわりがなくなるのが嫌で、それが納得いってねーんだ」と言い直しています。
雪乃へ告白する場面でも、「義務感とかじゃないんだ。責任取りたいというか、取らせてくれというか。お前は望んでないかもしれないけど、俺は関わり続けたいと思ってる。義務じゃなくて意志の問題だ」と、何度も「義務」とか「責任」とか、そういう言葉に逃げようとする自分を否定し、本心に近い言葉を必死で選んでいます。
「共依存」という一言で終わらせない、「義務」や「責任」という一言で終わらせない、自分の中にあるぼんやりとした掴みどころのない、けれど確かにはっきりと存在する感情を、言葉を尽くすことで、行動に示すことで、形にしていく。これはまさに、平塚先生の教えそのものですよね。
陰の陽乃先生が教えてくれたこと
上記のように理屈をこねくり回して、「義務」や「責任」などの言葉に逃げてしまう比企谷の態度に気づかさせてくれたのは、ほかでもない陽乃なのです。
「うまくいかなかったとしても、きっちり答えを出すべきなんです。ちゃんと決着付けないと、ずっとくすぶるから」
これは第11話の比企谷のセリフですが、第10話の最後のシーンで陽乃が比企谷に放った言葉をトレースしたセリフでもあります。合同プロムを実施し、自分なりの答えを出すことが、第10話で陽乃から突きつけられた言葉に対するアンサーであるということ。これが比企谷なりの陽乃への返答なのです。
第10話のラスト、比企谷は、陽乃から理屈でこねくり回してごまかしていることを看破されていました。そのおかげで、「本心」を「理屈」で隠す癖があることを、比企谷は強く自覚するようになりました。理屈に逃げるのではなく、ちゃんと本心と向き合い決着を付ける必要があることを、陽乃から学んだのです。
偽物を演じ続けて後悔している陽乃という〝しくじり先生〟からの教えを活かし、比企谷は理屈で逃げる自分を否定することができたのだと考えられます。
つまり、比企谷は、陰の陽乃先生により「問題意識」を持ち、陽の平塚先生により「答えの出し方」を学んだわけです。
陽乃から「問い」を出され、平塚先生から「解き方」を学び、比企谷自身が「回答」を導き出したと言ってもよいでしょう。どの工程が欠けても、比企谷は「答え」に近づくことができなかったはずです。ほんと、『俺ガイル』ってよくできてますね。
【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察② 〝助ける〟から〝助け合う〟関係へ
雪乃の願い→結衣の願いと進んだあと、オチとして最後に比企谷のとんでもない願いが出てきましたね。「俺を助けてくれ」という願い。今まで雪乃を一方的に助けるだけだった比企谷が、初めて頭を下げて雪乃に助けを求める展開となりました。
これにより、比企谷と雪乃の関係はイーブンになったと考えられます。貸し借りなしの関係と言いますか。実はこの展開、以前書いたブログで予想していたものに少し近いんですよね。
上記にあるように、単なる助けるヒーロー、助けられるヒロインという役割を反転させて、貸し借りをなくすという……『俺ガイル』はかなりアクロバティックなことをする作品ですよね。対等な関係に持ち込むのが狙いだったわけです。
しかも、合同プロムは対決ではなく、二人で協力して進めることになるわけですよね。ということは、二人で助け合いながら一つのことをする、いわば〝初めての共同作業〟が行われるはず。共同作業を通して、ようやく二人は、助けるでも、助けられるでもない、助け合う関係に昇華するわけですね。
助ける→助けられる→助け合うの三段階の構成は、なんというか、テーゼとアンチテーゼからジンテーゼを導き出す弁証法みたいですよね。
当ブログでは、「『俺ガイル』の基本プロットは三層構造である」という話をしてきましたが、こんなところにも三層構造が潜んでいましたね。
とことんコントロールのきいた作品だということが、よくわかりますね。
【俺ガイル 完】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察のまとめ
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」エンディング映像
第11話の演出で個人的にツボだったのは、歩道橋で比企谷が雪乃を引き留める場面。遠ざかる雪乃の手を比企谷が、ガシッと掴む。手を握っていたことに照れた二人が手を離す。すると、雪乃の手元がアップになり、雪乃は握られたほうの手をモゾモゾと動かしています。
これはですね……おそらく、余韻に浸っているのだと推察されます。比企谷の手の感触orぬくもりを無意識に確かめている、そんないじらしい仕草だと解釈できます。『俺ガイル』の演出って、本当に丁寧ですよね。
はい、それでは最後に『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』第11話の感想&考察をまとめておこうと思います。
- 結衣は、コミュ障の比企谷と雪乃の間に立って、二人の気持ちを読み取り伝える翻訳家になっていた
- 比企谷も雪乃も翻訳家・結衣に頼ってきた(陽乃風に言えば〝依存〟してきた)節があり、ゆえに陽乃は結衣に向かって「ここが一番の問題だ」と苦言を呈していた
- 結衣自身も二人から頼られていることの気持ちよさを感じており、依存されている状態に依存していたところがある
- 比企谷には、陰と陽の二人の教師がおり、それが陽の平塚先生と陰の陽乃先生
- 平塚先生は、二つの大事なことを教えており、一つは、「自分の答えは自分の中にしかない」というもの
- もう一つは「一言で済ませるな」という考え方
- 比企谷は陽乃という他者に答えを求めるのではなく、自分の中に答えを求めるほうへシフトチェンジし、自分が何をすべきなのか理解した
- 比企谷は自身の本心を「義務」や「責任」という言葉でごまかす癖がある
- 比企谷は「義務」という言葉に逃げそうになる自分を否定し、なんとか本心に近い言葉をひねり出そうとしていた
- 陽乃から理屈でこねくり回してごまかしていることを看破されたおかげで、比企谷は「本心」を「理屈」で隠す癖があること、理屈で逃げるのではなく、ちゃんと決着を付ける必要があることを学んだ
- 陽乃から「問い」を出され、平塚先生から「解き方」を学び、比企谷自身が「回答」を導き出した
- 二人で助け合いながら一つのことをする、いわば〝初めての共同作業〟が行われるはず
- 共同作業を通して、ようやく二人は、助けるでも、助けられるでもない、助け合う関係に昇華する
はい、ということで第11話の感想&考察は以上です。
いよいよ次回は最終回ですね。
比企谷と雪乃の関係がどうなるのか、結衣はどうなるのか、陽乃は何を言うのか、気になるポイントはいろいろあります。
第12話を観終えたら、また更新します。
それでは、その時まで、さようなら~。
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