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【読書論】自己肯定読書と自己改革読書の違いとは?

読書する猫

いつもは映画の感想や考察を書いている当ブログですが、今回は少し方向性を変えて、読書についてお話しようと思います。タイトルには「読書論」と書いていますが、そんな大げさなものではなく、普段の読書を少しでも、豊かなものにするための原理原則、あるいは方法論についてお伝えできればと考えています。

 

さて、早速ですが、皆さんは、読書の時に自分の心の動きを追ってみたことがありますか?

自分の心情に目を向けてみると、本に書いてある情報にプラスして面白い発見があるものです。かくいう私も、最近、読書をするなかで、自分の心の動きを覗いた結果、いくつか気づくことがありました。「自己肯定読書」と「自己改革読書」は、このように心の動きを追うなかで、はたと思いついたものです。

 

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自殺が存在しない国

自殺が存在しない国

  • 作者:木島 祥尭
  • 発売日: 2020/09/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

あっ、自己肯定読書してたわ……と気づいた瞬間。

自己肯定読書とは、自分をなぐさめるための読書のことです。もちろん、これは私の造語。実際に存在する言葉ではありません。しかし、おそらくは多くの人が経験したことがあるだろう読書法でもあります。

本を読んでいる最中に、著者の意見と自分の意見が合致して気持ちよくなった経験は誰しも持っているはず。著者のことを尊敬していればしているほど、意見の一致がうれしくて、ページをめくる手が止まらなくなることもしばしばあるでしょう。しかし、もしかすると、その読書は単に自分を肯定するための読書になっている可能性があります。本を読みながら、自分の頭をよしよしと撫でているだけの読書になっているかもしれないのです。

というのも、著者とまったく同じ意見ということは、自分の理解の範囲内のことしか、その本には書かれていないということなのですから。あるいは、自分の理解の範囲内のことしか、その本から読み取っていないのですから。

最初は「知識を得るために」とか「価値観を広げるために」とか、ある程度、目的意識を持って本を読んでいたはずが、いつの間にか目的を見失って、著者と共感することの快感に浸ってしまうことはよくあります。私も例外ではありません。というか、私の読書の大半は、こうした自己肯定読書になっており、いま、とても反省している最中なのです。

例えば、先日、尊敬する(※尊敬するからこそ、自己肯定読書になりやすい)森博嗣先生の『集中力はいらない』という著作を読みました。森先生いわく、発想には集中よりも分散思考のほうが向いているらしいのです。

集中力はいらない (SB新書)

集中力はいらない (SB新書)

 

*1

つまり、1つのことを、じーっと考えているよりも、マルチタスク的に複数のことをこなしたほうが、発想には向いているということです。確かに、それはその通りです。私自身、小説や脚本のアイディアが湧くのは、電車に乗っている時や、シャワーを浴びている時など、創作とはまったく関係のないタイミングですから、実感として発想には分散思考のほうが重要だと思っています。

しかし、私はここで、自分に1つ変な言い訳をすることになります。それは「あ、集中力がないのは、自分が作家気質だからか……」というものです。森先生は著作の中できちんと、「その場その場では集中する必要がある」と書かれているのですが、私は分散思考だけを都合よく抜き取り、自分に集中力が欠けていることから目を背けてしまったのです。しかも、そこには「森先生と同じ気質を持つ私は優れているのかもしれない……」という未熟な優越感も混ざっています。こうした優越意識も相まって、私はどんどん集中力を軽視するようになりました。

その結果、あらゆることを中途半端に片づけて、もちろん小説も含めて、どれもこれもが、おざなりに……。自分にとって都合のよい箇所だけを鵜呑みにし、拡大解釈した挙句、本を読む前よりも悪い状況を作り出してしまったわけです。自分の集中力の無さに向き合わず、集中力はなくてもいいんだよ、と自分をなぐさめるだけの読書になってしまったのです。

このように、読書のときは注意しないと、共感する部分だけを拾い読みして、自分を肯定する道具として本を利用することになります。自分に麻酔を打つような読書と言ってもいいでしょう。

自己肯定読書を続けていても、自分の理解の範囲から出ることはできません。同じところをグルグル回っているだけになってしまいます。本を使って独り言を言っているようなものです。私は本を読む中で、著者と意見が一致したことに喜び、快感に浸っている自分に気づきました。そして、自己肯定読書ではなく、自己改革読書こそが必要なのではないかと考えるようになりました。

自己改革読書は本選びから始まる!

自己改革読書とは、自分の知識や価値観を広げる読書のことです。先ほどの自己肯定読書とは真逆ですね。さて、ではどうすれば、自己改革読書が可能になるのでしょうか?

おそらく、そのポイントは「本選び」にあります。というか、本を選ぶ段階で、ほとんど決まっていると言っていいでしょう。何気なく本屋に立ち寄って本を買うと、多くの場合、自分の好きな著者や自分の好きな言葉が書いてある本を手に取ることになります。無意識に自分の考えに近いものを購入しがちですよね。そうなると、自己肯定読書に陥る可能性が高くなります。

解決策の1つとしておすすめなのが、自分の趣向と真逆の本をあえて選ぶ方法です。以前、東進ハイスクールの先生が目を瞑りながら本を選んでいる姿を、テレビで観たことがあります。その先生いわく、「目を瞑って選んだほうが、自分の価値観とは違うものが手に入る」とのことでした。まぁ、目を瞑るまでする必要はないと思いますけど、私の推奨する方法も、これに方向性は近いです。

まず、自分がいま気になっていることをメモ用紙に書きだしてみてください。できれば単語がいいですね。「自己実現」とか「恋愛」とか「成功」とか、なんでもいいです。それらを書き出したら、その対義語を考えてみてください。ピッタリの対義語がなかなか見つからない時もあるとは思いますが、だいたいで大丈夫です。

上記の「自己実現」なら「利他主義」とかですかね。こんな感じで、対義語を書いてみましょう。そうしたら、その対義語の含まれる(あるいは、その対義語に近い言葉を含んだ)本をネットや書店で探してみましょう。

すると、自分の主張とは真逆の本が見つかるはずです。欲を言えば、その本と一緒に、自分の興味のある本も購入するようにしましょう。そうすれば、両極の価値観に触れることができます。対義語で本を選ぶと、自分の価値観にない本に出会えますし、新たな考えに触れることも可能ですから、もしよかったら、やってみてくださいね。

読書のときに欠かせない!テツ&トモと、キムタク。

20周年記念アルバム「20周年で、なんでだろう」(通常盤)

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本を手に入れたら、読書スタート!

その際に意識して欲しいのが、テツ&トモキムタクです。

「お前はいったい何を言い出すんだ?」と、不思議に思われていることでしょう。

これは、あくまでも私が実践している読書法ですからね。万人に合うわけではないので、話半分に聞いてくださいね。

本を読んでいると、いろんな感情が湧きおこると思います。怒りだとか、悲しみだとか、喜びだとか、喜怒哀楽が出てくるはずです。そうしたら、「なんで、私はいまイライラしているんだろう?」、「なんで、私はいま感動しているんだろう?」と、自分の心の状態にクエスチョンマークを付けてみてください。

なんでだろう?」と、改めて考えてみることで、自分が何に心を動かされるのか、どうして動かされるのかが分かってきます。すると、本の情報を得られるだけでなく、自分の再発見にもつながります。

感動の原因を探ると、自分の正体が見えてくることも多々あります。自分の正体が見えれば、何が自分に必要なのかが分かってきます。そして、次の読書ではどんなことを学びたいのかも見えてきます。

読書はともすれば、受動的な活動になりがちです。しかし、受動的な姿勢では、知識や価値観を取得するのは難しい。少しでも能動的な活動にするためにも、自分の心の動きを追ってみることは大切です。

読書の際は、ぜひ頭のなかにテツ&トモを登場させて、「なんでだろう~」と語り掛けてみましょう。

また、読書の際に、いろいろと納得することは多いと思いますが、そんな時は「ちょ、待てよ」と一旦ブレーキをかけてみてください。そうです、ここでキムタクの登場です。どんな本でも、論理的な流れはできていますから、「なるほどなぁ」と感心してしまうものです。けれども、人間の書く文章ですから、当然ほころびもあります。

納得しそうな時は、自分の頭に「ちょ、待てよ」と言ってみましょう。そして、本の内容に、あえて反論してみることをおすすめします。

逆転裁判~その「真実」、異議あり! ~逆転特急、北へ (ジャンプコミックス)

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Aの場合は、確かに著者の言う通りだが、Bの場合は当てはまらないはず!」と、まるで逆転裁判のように、著者の論理に挑戦してみると、より客観的に本を読むことができますし、思考力を鍛えることにもつながります。それと、一旦ブレーキをかけることで、自分が単に気持ちよくなっているだけ、ということにも気づけます。自己肯定読書を避けることもできるのです。

 

つまり、感性をテツ&トモで磨き、論理性をキムタクで磨くのです!

読書の際は、ぜひテツ&トモとキムタクを、頭の中に登場させてみてくださいね。

【読書論】自己肯定読書と自己改革読書のまとめ

ここでは、自己肯定読書について、ネガティブに書いてきましたが、私は別に自己肯定読書を否定しているわけではありません。誰しも、本になぐさめて欲しい時はあるからです。そして、人をなぐさめるための本も世の中にはたくさんあるからです。それはそれでよいのです。

重要なのは、自分をなぐさめるために読んでいるのか、それとも自分を変えるために読んでいるのかを自覚すること。ビックリするほど、私たちは本を無自覚に読んでいるので、知らず知らずのうちに、目的とズレた読書をしていることがあります。

自覚的な読書をするためにも、自己肯定読書と自己改革読書のどちらを自分はしているのか、意識してみることは大切です。そうすれば、当初の目的を見失わずに、実りのある読書になることでしょう。

テツ&トモとキムタクに関しては、冗談なので、本気にしないでいいですよ(笑)

ちょっとふざけただけです、すみません。。

 

さて、今度はどんな本を読もうかな……

皆さんのおすすめの本がありましたら、コメントで教えてくださいね。

では、また次の記事でお会いしましょう!さようなら~~(*^^*)

 

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*1:『集中力はいらない』は名著です。集中力を強要する現代社会に対して、一石を投じているだけでなく、分散思考によって発想力を高める方法まで書かれています。集中力に囚われている人や、発想力を磨きたい人にはぜひ読んでいただきたい一冊です。