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『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のネタバレ考察と感想!人類の滅亡も人類の再生も、全ては管理されていた!?

『アイ・アム・マザー』のビジュアル
アイ・アム・マザー|ビジュアル


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主要登場人物が3人。しかも、1人、いや1体はアンドロイドの映画。それが『アイ・アム・マザー』。数あるVODのなかでも、オリジナル映画やオリジナルアニメに力を入れているNETFLIX独占配信の作品。

PVを観た段階で、これは興味深いテーマを扱っている作品だなという印象はありましたし、SFとしての世界観にも惹かれる部分がありました。

そして、さっそく観てみたのですが、予想通りSFスリラー映画として、満足のいくクオリティの作品になっており、観ている最中はもちろんですが、観終わってからも、いろいろ考えることができる楽しみがそこにありました。

もし皆さんが、小難しい内容の映画は苦手というのでしたら、『アイ・アム・マザー』は避けたほうがいいかもしれません。小難しいというより、説明不足と感じる可能性が高いです。

とくに終盤になればなるほど、主人公の女の子を含めて、登場人物の心情が分からなくなっていきます。心情が説明されることはほとんどありません。それが映画的といえば、まさしく映画的なのですが、普通の娯楽作品を求めている場合には、意味不明、支離滅裂に見えるかもしれません。

『アイ・アム・マザー』は、人類滅亡後の世界でアンドロイドに育てられた女の子が主役の作品。主演のクララ・ルガアードの演技力が非常に卓越していました。信頼しているときと、不信感を抱いているときで、表情や視線などを巧みに使い分け、人物の心の揺らぎを表現し、若手でありながらもテンションの高い場面とそうでない日常的な場面をうまく演じ分けていました。

もちろん、外界から現れる女性を演じたヒラリー・スワンクの凄味のある演技も相まって、『アイ・アム・マザー』は緊張感のある作品に仕上がっています。

しかし、役者の演技にあらゆる心情表現を任せているため、注意深く観察しないと、誰がどうして、その行動に至ったのか分からず、「?」マークを頭に浮かべたまま、いつの間にかスタッフクレジットを眺めていることになりかねないのです。

私もかなり「?」が多かった人間の1人なので、他人ごとではありませんが、あとで思考を巡らせているうちに、「ああ、こういうことかな」という朧げな気づきみたいなものがあります。

この気づきが醍醐味の1つと言えるかもしれませんね。観た後も思考を支配するタイプの映画と考えてもらえるといいでしょう。

さて、前置きはこのくらいにして、それでは『アイ・アム・マザー』の考察を始めようと思います。私もさっぱり分からない箇所が多かったので、今回はあくまでも推論ないし憶測を書いていくことになります。その点はあらかじめご了承ください。

そして、基本的にこれから書くことは、ネタバレ要素を含んでいます。そのため、未見の人はまずNETFLIXでご覧になってから、こちらの記事に目を通してもらえると嬉しいです。

 

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自殺が存在しない国

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『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のあらすじ

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人類の大量絶滅後、再増殖施設内でたった一人ドロイドの母親に育てられている少女。だが、彼女の前に別の人間が現れたとき、ずっと信じてきた世界が揺らぎ始める。 

(引用:『アイ・アム・マザー』より)

再増殖施設でドロイドに育てられた少女は、ドロイドのことを「母」と呼び、ドロイドは少女のことを「娘」と呼ぶ、機械と人間の奇妙な親子関係のなかで、少女は特に疑問も持たずに日々を過ごしていた。

少女はドロイドから、外界は汚染されており、人間が生きていくことはできないと聞かされていた。しかし、あるとき、その外界から女性が現れる。人間は絶滅し、そして外界は汚染されていると聞かされていた少女は、ドロイドの発言に疑念を持ち始める。

その後、外界の女性と会話を重ねるうちに、ドロイドへの不信感はさらに増していき、それまで施設内しか知らなかった少女は、ついに外界へ出ていくことになる――。

 

以上が大まかな話の展開です。これまで母親として接してきたドロイドを信じるのか、外界からきた女性の発言を信じるのか、その間で板挟みになりながら葛藤する少女の姿が描かれています。

と、同時に、女性はどこから来たのか?外界はどうなっているのか?人類はほかにも生存しているのか?など、複数の謎が提示され、それらが徐々に紐解かれていきます。

プロットとしては「誕生→成長→異変①→異変②→捜査→脱出を決意→脱出→新たな世界の発見→嘘の発覚→帰還→母親の否定→新たな母親の誕生」こんな感じ。

『アイ・アム・マザー』は、人間の葛藤や、人間が人間であることの業、母親とは何か?など複数のテーマが重層的に絡み合った作品と言えるでしょう。

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』の主なスタッフ

  • 監督:グラント・スピュートリ
  • 脚本:グラント・スピュートリ、マイケル・ロイド・グリーン

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』の主なキャスト

  • 娘:クララ・ルガアード
  • アンドロイド:ローズ・バーン
  •  外界からやってくる女性:ヒラリー・スワンク

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のネタバレ考察① SFスリラーとしての恐怖の演出が見事だった

NETFLIXを開いていただければ分かりますが、『アイ・アム・マザー』は、「スリリング」な映画として紹介されています。ジャンル的に言えば、SFサスペンス、あるいはSFスリラーといったところでしょう。特に、SFスリラーはしっくりくる表現です。というのも、『アイ・アム・マザー』は、SF的な世界観のなかで、見事なまでにドロイドの恐怖を表現することに成功しているのです。

そもそも最初の設定の時点で、恐怖を演出することに成功しています。少女はドロイドのことを母親と思っています。事実、少女はドロイドに育てられてきました。しかし、その母親が実は、重大な事実を隠していることを少女は知ることになります。

信頼できる対象、しかも「母親」という最も身近な存在に、自分の知らない恐ろしい面があることを知ったら、それだけでも大きな恐怖を覚えることになるでしょう。身近なものが持つダークサイドを知ることの恐怖がこの話の推進力となっています。

また、疑念が段階的に膨らんでいくという構成も見事でした。最初は、外界からネズミが侵入したことによって、外界への興味が出てきます。次に、女性の出現によって外界で生存できる可能性が示唆され、少女は当惑します。そして、女性がドロイドから逃げてきた事実や、これまでほかの人間が造られ排除されてきたことを知り、ドロイドへの疑いは決定的なものとなります。

興味→疑念→不信のような形で、一気にではなく徐々にドロイドを恐いものとして認識するようになっていました。これにより、観客の私も少しずつ、ドロイドへの恐怖感を募らせることができ、少女と同じ気持ちの変化を体験することができました。

加えて、ドロイドの態度や仕草を描き分けることにより、恐怖を演出することにも成功していました。ドロイドは基本的に少女に対して優しい態度で接しています。しかし、外界のことになると、ドロイドの反応は非常に粗暴になります。

ネズミを問答無用で焼却したり、扉の開閉アラームが鳴った瞬間に全力で走ったり、外界からの女性を締め上げたり、こういった場面では機械としての冷淡さが際立っています。とくに走っている場面では、無駄な動きが一切なく、それがさらに機械っぽさを助長させています。

少女はおそらく、ドロイドのこういった姿を初めて目撃したのでしょう。だからこそ、不信感を持つようにもなるわけです。「いつもと様子が違うぞ」と感じて……。

丁寧な対応によってきちんと信頼感を演出していたからこそ、粗暴な対応が垣間見えた瞬間に違和感が生まれ、不信感へとつながっていくということですね。構成や演出など、総合的に見てSFスリラーとしての魅力を秘めている作品だなと感じました。

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のネタバレ考察② 最初から騙されていた!?ドロイドのついた嘘

すでに映画をご覧になった人はご存知だと思いますが、ドロイドはビックリするほど嘘をつきまくっていました。「外界が汚染されている」のも「人間が少女以外に存在しない」のも、そして「人類再生の第1号が少女である」のも、あらゆることが嘘でした。とはいえ、さりげなく我々、観客には最初の段階で「ドロイドは嘘つきですよ」というメッセージが示されていました。それが、冒頭に出てくる以下の情報です。

絶滅からの日数:001

施設内ヒト胎児:63,000

ヒト居住者:000

(引用:『アイ・アム・マザー』より)

この情報が表示された後、ドロイドが起動し、胎児を生育装置のようなものに入れて、赤ん坊まで成長させます。その後、ベイビー・マインの曲とともに、ドロイドの子育て奮闘記が映像で流れていきます。途中、女の子といくつかのやり取りをした後、もう一度、冒頭と同じような情報が画面に表示されます。

絶滅からの日数:13,867

ヒト居住者:001

(引用:『アイ・アム・マザー』より)

注目していただきたいのが、絶滅からの日数です。最初に胎児を生育装置に入れたときは、まだ001日でしたが、少女がベッドで目を覚ますときにはもう13,867日になっています。

1年が365日だとすると、およそ38年ほどが経過したことになります。ですが、どう見てもあの少女が38歳の中年女性には見えません。あの少女が育つまでに、何人かの子どもは処分されてしまったのでしょう。今作の主役の少女は何人か犠牲になった後に生まれた少女だと考えられます。何代目かは分かりませんが……。

そう考えると、ベイビー・マインの曲が流れるシーンは子育て奮闘記でありながら、子育ての失敗を描いた場面でもあったわけです。あの曲が流れる間に、相当な月日が流れていたということですね。なかなか面白い表現だと思いました。

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のネタバレ考察③ 人類の滅亡も人類の再生も、全ては管理されていた!?

ドロイドは「人間を保護している」と言っていましたが、「人間を管理している or 人間を観察している」という表現のほうがしっくりきます。終盤、少女を育てていたあのドロイドは、外で活動しているドロイドと意識を共有していることが明らかにされます。つまり、外界から来たあの女性や、その仲間を襲ったり恐怖に陥れたりしていたのも、少女を優しく育てたりしていたのも、すべて同じ意識によっておこなわれていたわけです。一方は施設内で徹底的な教育を施し、一方は外界の厳しい環境に放り込み、人間の負の側面を観察する。

ドロイドの行動には、人間を保護する面もありますが、同時に人間を殺害する面もあります。私にもはっきりとは分かりませんが、ドロイドは人間を観察し、どのように育て、どのように管理するのが適切なのか、データを収集し、最善の選択を導きだそうとしているのかもしれません

また、外界の女性もドロイドによって造られた存在だと考えられます。施設内での反応を見る限り、あの再増殖施設で育ったとは考えづらいですが、別の場所で生まれたか、再増殖施設で生まれた後に捨てられたかして育ったのかもしれません。年齢から考えて、絶滅後すぐに誕生した赤ん坊という説も考えられます。ドロイドの意味深な発言からも、外界の女性が造られた存在だということが示唆されています。

教えて……母を覚えてる?興味あるでしょ。あなただけが生き延びた。何か理由があったのね。

(引用:『アイ・アム・マザー』より)

まるで「私が母親よ」と言いたげなセリフです。生き延びた理由、それは少女をあの施設から連れ出すことだったと考えられます。外に出て、外界を知ることが、少女が母親になる過程で重要な経験だったのでしょう。たとえ自分の命が危険にさらされても弟を取り戻すというある種の「母性の目覚め」を促すためには、一度外へ出て弟と離れる必要があったのかもしれません。

自分よりも他人という利他精神の目覚め。そういえば、ドロイドは外界の女性のことを「彼女は自分のことしか考えていない」と批判していました。母親には自分を犠牲にしてでも子どもを守る意識が必要だとドロイドは言っているのかもしれませんね。

自己犠牲の話は、ベンサムやコントの思想を引用しながら語っていましたし、以上の点から考えると、ドロイドが母親として認める基準には「利他精神」と「自己犠牲」の目覚めが設定されていたと考えられます。

そして、その2つを獲得するために少女を外界へ連れ出す外界の女性という存在が必要だったのかもしれません。「何か理由があった」のだとすれば、私が思いつくのはそのくらいです。はっきりしたことは言えませんけど。

話を戻しますね。劇中、少女と外界の女性の2人が窓越しに会話する場面があったと思います。窓をはさんでまるで鏡映しのように彼女たちは立っており、よく見ると髪型や背格好が似ています。あれは、同じ造られた存在だということを暗示しているのかもしれません。

外界に出たときにわずかに映った鉱山地帯など、どうにも、再増殖施設以外の人工的な施設が存在している感じがします。冒頭のメッセージを参照しても「施設内ヒト胎児」と書かれており、これはあくまでも再増殖施設内の数であって、別の施設の数字を表しているわけではありません。別施設での人間の管理がおこなわれている可能性も十分考えられます。

移植問題について授業をする場面があったと思いますが、そのシーンには彼らの思想が隠れているように思います。ベンサムやコント、カントといった哲学者の思想を交えながら、1人を生かし5人を犠牲にするのか、5人を犠牲にし1人を生かすのか、こうした問答が展開されていました。

ドロイドは不出来な人間を犠牲にし、出来のよい人間だけを生かすという選択をとっています。様々な犠牲を払うことによって、子育ての精度を上げていき、より質のよい人間を造り出そうとしているのでしょう。ドロイドは、倫理的に優秀な人間だけを育てることで、自己破壊しない種が誕生すると考えているように見えます。

いずれにせよ、どのようにすれば人間が自己破壊せずに生存できるのか、そういった部分を検証しているのがドロイドという存在だと言えるでしょう。人類滅亡も人類再生も、ドロイドたちの手の内にあるわけです。

しかし、ドロイドが考えるより良い人間だけがいる世界が果たして、人間の世界として自然なものなのかあるいは、そのような功利主義的な考え方が母親の倫理観として正しいのか、こうした点に疑問を投げかけているのが『アイ・アム・マザー』だという気もしてきます。

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のネタバレ考察④ そして母になる

先ほどの話の続きですが、最後の場面、外界に出てから弟を助けるために戻ってきた少女は、ドロイドと向き合います。少女がドロイドに向けて放った言葉が印象的でした。

完璧でないと?自分の子どもも殺す。基準に満たないから。

(引用:『アイ・アム・マザー』より)

完璧な人類だけでよいというのは、多様性を無視した考え方です。人類という種を存続させることだけ考えれば最善の策かもしれませんが、人間の母としての倫理観がそこにはありません。

倫理観を問うてきたドロイドもまた倫理的に問題があったわけです。少女はその部分に鋭く切り込んでいきます。「マザー、あなたも十分、倫理観に欠ける」といった具合に、反論しているわけです。

たしかに、ドロイドの考え方を採用すれば、最良の人間だけの社会になるでしょう。しかし、そこに人間それぞれが持つ個性が保たれるのかは、甚だ疑問ではあります。全員が同じ教育を受け、同じ基準を満たしているということは、同じ考え、同じ思想の人間ばかりが暮らすことを意味します。

これならドロイドの言う自己破壊がおこることはないでしょう。けれども、そこにあるのは多様性を排除した画一的な社会であり、1つの人格が多数存在しているだけの彩に欠ける世界でしかありません。1つの人格を多数の個体が持っている状態は、まさに劇中のドロイドたちと同じような状態ですドロイドは自分たちに似せた存在を創ろうとしている可能性があります。まるで神様が自分の似姿として人間を創ったかのように

しかし、少女は、外界に出て彩のある世界を知りました。だからこそ、人間それぞれの彩を少女は大切にしたいと感じて、誰かを犠牲にするという考えを超克し、全てを生かすマザーになることを決心したのかもしれません。

そもそも、少女が育てられたのは理想的な母親を生み出すためでした。女の子ばかり育てていたのは、母親という存在を育成する目的があったからでしょう。そして、少女はドロイドの矛盾を看破するほど倫理的に優れた存在となりました。

なぜ最後、ドロイドは銃で撃たれることを許容したのか?明確なことは言えませんが、ドロイドを超える倫理観を少女が獲得し、母親として優れていると判断したからかもしれません。あるいは、理想的な母親によって理想的な人間が育つという考えのもと、少女のことを母親として認めたからなのかもしれません。もしくは、先ほども言ったように母親としての基準である「利他精神」と「自己犠牲」を少女が獲得したからなのかもしれません。いずれにせよ、憶測ですけどね。

最終的に少女は、大量の胎児が眠っている部屋の前で、決意の表情になります。あれは、これから母親になることを決めたことを意味しているのでしょう。ドロイドがマザーになる話ではなく、少女がマザーになるまでのイニシエーションが『アイ・アム・マザー』では、描かれていたのかもしれませんね。功利主義的母親のドロイドを倒し、普遍的な愛情を持つ母親として少女が進化する姿がそこにはあるのかもしれません。

『アイ・アム・マザー』には徹底的に女性しか出てきません。少女も、ドロイドの声も、外界の女性も、そして外界の女性が祈っていた対象も御母マリアでした。「母」がテーマになっている作品なだけに、祈る対象まで女性に限定されていた点は非常に興味深かったですね。もしかすると、マリア様のように普遍的な愛を実現できるスーパーマザーとして少女が成長していく過程を描いた作品なのかもしれませんね

『アイ・アム・マザー(I AM MOTHER)』のネタバレ考察と感想のまとめ

それでは、最後に『アイ・アム・マザー』を観て感じたことについて、私の所見をまとめておこうと思います。

  • 少女がマザーになるまでのイニシエーションが描かれているのではないか?
  • 「母」がテーマなので、今作の登場人物は全員、女性である
  • 絶滅からの日数を参照すると、少女が生まれる前に、何人かが犠牲になっていることが分かる
  • 段階的に疑念を助長させていく構成が優れていた
  • 外界の女性もまた、ドロイドによって造られた存在なのかもしれない
  • ドロイドの狙いは、倫理的に優れた個体を生み出し、人類を次の段階へ進化させること
  • 「犠牲」を是認するドロイドに対して、他者の「犠牲」を受け入れない普遍的な愛を持つマザーとして少女が成長し、倫理観でドロイドを超克した
  • 外界へ出ることにより、「利他精神」と「自己犠牲」を獲得し「母性の目覚め」を少女は経験したのではないか?

以上が私の『アイ・アム・マザー』に対する感想です。あまり明確なことが言えずに申し訳ないです。ただ、このタイプの映画は多様な読み取り方ができる点も魅力になっています。そのため、画一的に「こういう意味だ」と言えないのは、作品性から考えて、仕方がないことなのかもしれません。という言い訳を最後にしておきます。

今回はこのくらいでお開きにしましょう。 

それでは次回のレビューまで、さようなら~~(^^)/ 

 

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