「面倒なもんだなぁ……つながりってやつはよぉ」
「この世界は悪い奴が生き残るんだ」と口にしていた誓(ちかい)が、弟のことを想いながら死んでいく。ああ、そうか誓はいい奴だったんだなぁと、そう考えると涙が止まりませんでした。さんざん悪いことをしてきたのに、最後は弟のことを想ういい兄貴だったわけですからね。
それにしても、あのフラッシュバックはずるいですよ。あんなの泣かないわけがない。
2人の思い出が、悠(とおい)の涙が落ちるのと同じように流れていく。祭りの風景や、2人でサッカーをしたり、駆け回ったりした情景。あらゆる温かい過去が、川を漂う船の上で、涙と一緒にあふれ出る。
これは私の邪推ですが、あのフラッシュバックは悠だけでなく、誓も一緒に見ていたような気がするのです。さらざんまいの時のように、2人の想いがつながった瞬間なのかもしれませんね。
兄弟の愛情が最大値に達した感動的なシーンでした。何度見ても泣けますね。
sarazanmai.comちなみに、今回もアバンのときに「ア」のマークが2つ出てきましたね。1つは遠ざかり、もう1つの「ア」は波紋を作りながら画面に迫ってくる感じで描かれていました。
おそらく前者は浅草から遠ざかっていく悠のことを表していると思います。そして後者の近づいてくる「ア」は、瀕死状態の燕太のことを表しているものと考えられます。
「ア」が「ピカ、ピカ」と光って円形の波紋を広げていく様子は、心臓の鼓動をイメージしている感じがします。これは燕太が今ギリギリの状況にいることを表現していると考えていいでしょう。
そういえば、「ア」のマークのあとに、なぜかスカイツリーが映し出されたのですが、よく見るとスカイツリーの展望台の「円」も拍動を表すように、定期的に「ピカ、ピカ」と光っていました。となると、スカイツリーの「円」が心臓の鼓動を表している可能性も出てきました。
さて、アバンの分析はこのくらいにして、さっそく感動の第9話の考察を書いていこうと思います。カワウソに関しても新事実が判明したので、その辺りについても見ていきましょう。
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- 『さらざんまい』第9話「つながりたいけど、伝わらない」のあらすじ
- 『さらざんまい』第9話の考察① 久慈兄弟の不器用な「愛」
- 『さらざんまい』第9話の考察② さらざんまいのポーズから見える3人のつながり
- 『さらざんまい』第9話の考察③ 二律背反の愛と欲望!カワウソの正体は支配欲だった!?
- 『さらざんまい』第9話の考察④ 重たい話と軽い話の絶妙なブレンド
- 『さらざんまい』第9話の感想・ネタバレ考察のまとめ
『さらざんまい』第9話「つながりたいけど、伝わらない」のあらすじ
意識不明状態の燕太は病院の集中治療室に搬送されていた。「自分のせいだ」となげく一稀に燕太の姉の音寧が語り掛ける。「あの子にとってカズくんは恩人だもの」と――。小さなころ友達の輪に入れなかった燕太を、サッカーに誘った一稀。燕太はそのことをずっと忘れておらず、一稀をひとりぼっちにしないと心に決めていた。燕太の気持ちを知った一稀は、燕太に呼びかける。
が、瀕死のはずの燕太の声が後ろから聞こえる。振り向くと、そこにはカッパ姿の燕太。ケッピの力によりカッパに変身させられ、一時的に命を長らえていたのである。しかし、燕太の命にはタイムリミットがあった。一稀は燕太を救うために、奪われた希望の皿を取り返すことを決意する。
だが、希望の皿を探しているのは一稀たちだけではない。レオもまた本物のマブを取り戻すために、残りの1枚の皿を探し求めていた。
同じころ、久慈悠は兄の久慈誓とともに船に乗っていた。悠はニュースで燕太が撃たれ、緊急搬送されたことを知る。兄と一緒に行くか、浅草に引き返すか迷う悠。そうこうしているうちに、日の出桟橋に到着する久慈兄弟。そこでは、マサという誓の弟分が待っていた。しかし、誓はそのマサを撃ち殺してしまう。兄の非道さに驚きを隠せない悠。誓は次なる追っ手にも容赦なく銃弾を浴びせる。
追っ手を振り切ったあと、悠は「弟の俺のことも捨てるのか?」と言って誓に詰寄る。誓は悠に銃口を向ける。銃声が響いたその瞬間、誓は悠を庇って血を流していた。誓は追っ手の銃弾から咄嗟に悠を守ったのだ。誓と悠は船に乗り、最後の言葉を交わす――。
『さらざんまい』第9話の考察① 久慈兄弟の不器用な「愛」
「人生に替え玉はねえ。うまくいかないときは全部捨てる」
(引用:『さらざんまい』第9話より)
追っ手から逃げるときに誓(ちかい)が口にしたこのセリフ。これは誓が生き残るために実践してきた処世術なのでしょう。実際に、誓はあらゆるものを捨ててきました。
しかし、唯一捨てられなかったものがあります。それは、悠(とおい)という存在です。悠に「弟の俺のことも捨てるのか?」と言われ、誓は悪ぶって銃口を向けますが、結局、最後は悠のことを助けてしまう。
悠は不安だったはずです。なにせ、弟分のマサを誓は平気で殺してしまったのですから。実の弟である自分も殺されるのではないか、というより、どうでもいい存在だと思われているのではないかと、不安で不安で仕方がなかったはずです。
けれども、どんなに悪事を働いても、誓は悠を撃つことだけはできないのです。なぜなら、一度強い絆でつながってしまったのだから。表面上はすべて捨てたつもりでも、捨てきれない強固なつながりができてしまったのだから。
「惚れた弱み」なんて言葉がありますけど、この場合は「つながった弱み」とでも言えばいいですかね。なんというか、因果なものを感じます。
普通に考えて、裏の仕事をするのに、悠はお荷物になるはずです。本当は浅草の街に置いていったほうが、誓は行動しやすかったと思います。
悠の「一緒にいたい」という気持ちが強かったというのもありますが、それと同じくらい誓は悠を求めていたのでしょう。これまでは、悠の誓を想う気持ちにずっと焦点が当たられてきましたが、今回は誓が悠を想う気持ちにもフォーカスされていました。
そもそも「うまくいかないときは全部捨てる」という言葉もわざわざ口に出す必要はないんですよ。あれは、弟のことを想う自分を必死に説得しているんです。「弟のことは忘れろ!」と自分に言い聞かせているんです。
しかし、家族写真のなかで、自分や両親の顔は塗りつぶせても、悠のことだけは塗りつぶせなかったことから分かるように、誓の悠に対する「愛情」は計り知れないものがあります。
また、悠もリュックいっぱいにお金を詰め込んでいました。あのお金は誓のために集めたものでしょう。前にも「金なら俺がなんとかする」と言っていましたからね。そもそも、兄が集めたお金で久慈の蕎麦屋は今も営業し続けることができています。
悠はそのことに対してずっと恩義を感じているのかもしれません。だから、少しでも恩返しできるようにお金を集めてきたのでしょう。最後にリュックに入れたお金を投げ捨てたのは、誓が絶命した今、意味を持たなくなったからだと考えられます。
互いに「愛情」を持っているのに、互いに不器用なものだから、うまく気持ちが伝わらないんですね。歯がゆいですね。でも、だからこそ、感動した面もあります。いやはや、不器用な愛は胸にきますね。
『さらざんまい』第9話の考察② さらざんまいのポーズから見える3人のつながり
「サラッと」 のときの独特なポーズ。あの元ネタがようやく分かりましたね。一稀も燕太も悠も、みんな同じサッカー選手のことが好きだったんですね。燕太が読んでいた雑誌の表紙のサッカー選手も、悠がフラッシュバックのなかで見ていたポスターのサッカー選手も、一稀が昔好きだったサッカー選手も、みんな同じポーズをしていました。
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3人は昔から、サッカーという点でつながっていたことが今回はっきりしました。まるで「円」のようなつながりです。
小さな頃のつながりによって、現在彼らはもう一度つながっているわけですから。円環構造と言いますか、偶然とはいえ、グルっと一周回って彼らはつながったのです。まさしく「円」の形をした「縁」ですよね。
『さらざんまい』第9話の考察③ 二律背反の愛と欲望!カワウソの正体は支配欲だった!?
第9話は、悠と燕太が話の主軸だったので忘れがちですが、レオとマブにも大きな動きがありました。そして、ようやくカワウソの正体が明らかになってきました。カワウソは「概念」として存在するものであり、「欲望を映す鏡」でもあります。
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人の欲望を具現化した存在。それが、カワウソということですね。カワウソそのものの姿はおそらくないと考えられます。あくまでも概念として実態のない何かなのでしょう。今回はレオの欲望を具現化した姿で登場していました。
このカワウソのセリフを見てみると、彼らの言う「欲望」の定義が少し分かってきます。
「マブを支配したいと思っているのはお前だよ、レオ。この空虚な機械の心臓に口づけしたいと望んでいたのも。お前たちは欲望に、我々カワウソに踊らされているに過ぎない」
(引用:『さらざんまい』第9話より)
重要なのは「マブを支配したいと思っているのはお前だよ」というセリフ。どうやら、カワウソにとって「欲望」とは、「支配欲」のことを指しているようです。誰かを自分のものにしたいと願う気持ちを「欲望」と定義づけているのでしょう。
ここから読み取れるのは、行き過ぎた「愛」は「支配欲」になり得るというテーマです。人が他人と関わるためには「この人とつながりたい」という欲望が必要です。そして、関わっていくにつれて「この人ともっと一緒にいたい」と願うようになることもあります。それは「愛」と言っていいでしょう。
しかし、この「愛」が行き過ぎると、「この人を自分のものにしたい」という「支配欲」にすり替わってしまいます。そして当然ながら、支配欲は関係性を破綻させます。もし成立したとしても、それは今のカワウソとマブのような「支配と依存」の関係でしかなく、まともな関係性とは言えません。カワウソはこうした支配欲の化身だと考えていいでしょう。
第7話で燕太が囚われていたのも、この支配欲の可能性が高いです。「一稀は自分だけのものだ」という欲望に突き動かされて、悪事を働いてしまったと考えることができます。燕太の行き過ぎた愛情が、支配欲を呼び起こしてしまったわけです。
こうして見てみると、『さらざんまい』では、愛と欲望を二律背反なものとして描いていることが分かります。「愛がすべてさ」とか「欲望がすべてだ」とか言うのではなく、愛と欲望は裏表の関係にあり、バランスを取らないと、つながりが壊れてしまうというメッセージが込められている気がするのです。
欲望も愛もどちらもつながるためには必要不可欠。けれども、どちらも行き過ぎると、逆につながれなくなる。『さらざんまい』は、愛と欲望の両方の重要性を語っているように思えてなりません。
カパゾンビも「全部俺のものだ」という支配欲にかられている点で共通しています。この支配欲とどう向き合うかが、今後、重要なテーマになってきそうですね。
『さらざんまい』第9話の考察④ 重たい話と軽い話の絶妙なブレンド
氷漬けのケッピがトラックにはねられて粉々になったり、吾妻サラがバラバラになったケッピをつなぎ合わせたり、第9話もコミカルなシーンがいくつか用意されていました。
燕太や悠の重たい話だけではなく、こうしたコミカルな場面を途中に挟むことで、話全体に緩急をつけているわけです。しかしながら、これだけシリアスな回で、あれだけふざけても、違和感なく観られるのはすごいですよね。絶妙なブレンド具合だと思います。
同じように、燕太のことを想って一稀が泣き崩れるシーンでも、泣かせねーよと言わんばかりに、後ろからカッパになった燕太に声を掛けられるシーンがありましたよね。泣きに入りそうな場面で、観客を敢えて泣かせない演出は、『輪るピングドラム』でも幾原監督が使っていた手法です。
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『輪るピングドラム』の第1話。妹のひまりが死んでしまい、悲しみと憤りから、カンバとショウマが殴り合う。しかし、突如、死んだはずのひまりが「生存戦略!」という謎のフレーズを口にして起き上がります。まさに「泣かせねーよ」演出です。
瀕死状態の燕太とシチュエーションも似ていますよね。意識的に自分の過去作のオマージュをしているのかもしれません。
とにかく、こういったシリアスな場面以外のコミカルな場面が設けられていたため、感情のふり幅が大きくなり、悠と誓のシーンがより一層感動的になったと考えられます。見事な緩急のつけ方でしたね。
『さらざんまい』第9話の感想・ネタバレ考察のまとめ
第6話以上に感動的だった第9話。皆さんはいかがでしたか?
それでは、最後に『さらざんまい』第9話で気づいたポイントについて、まとめておきましょう。
- 「うまくいかないときは全部捨てる」と言いながら、誓は全てを捨てきることができなかった
- 兄のために集めたお金だったので、兄が絶命した後、悠にとってお金は不要なものとなり、お金を投げ捨てた
- 誓は最期の瞬間、悠と同じフラッシュバックを見ていたのかもしれない
- 一稀、燕太、悠は、ずっと同じサッカー選手のポーズをマネしていた
- カワウソは支配欲の象徴である
- 「欲望」と「愛」は二律背反で、他人とつながるためには、両者のバランスをとらなければならない
ちなみに、第9話は「橋」が何回か出てきましたよね。最初に悠と誓が船に乗って浅草を出るときと、最後の船の上で誓が息絶えるときの、計2回ほど橋が背景のなかに描かれていたと思います。
すでにご存知かもしれませんが、映像作品において橋は境界線を意味しています。橋や踏切、あるいはトンネルなどは、向こう側とこちら側を分ける記号として機能し、これから変化が訪れることを暗喩しています。あるいは向こう側とこちら側で世界が異なることを表しています。
今回もまさに、悠の世界が変わりましたよね。浅草で仲間と過ごしていた平和な世界から、誓が過ごしてきた裏の世界へ、あの橋を超えた時点で足を踏み入れていたわけです。そして、最後にもう一度橋が映ったということは、悠が再び裏の世界から浅草に戻ることを意味していると考えられます。
悠がこのあとどう立ち直るのか?それとも立ち直れないのか?あるいは、もしかしたら、一稀や燕太がピンチになったときに、駆けつけてくれるかもしれません。いずれにせよ、残された話数で、この『さらざんまい』がどのように幕を閉じるのか楽しみで仕方がありません!
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『さらざんまい』各回の考察記事に関しては、以下をご覧ください!