「越えろ! 欲望の河を渡れ!」
ついに最終話を迎えた『さらざんまい』。皆さんはいかがでしたか?
私は大満足でしたよ。第10話まで積み上げてきたメッセージやテーマを見事に集約させながら、ドラマ的にも抜群の構成力で盛り上がりを作り出すことに成功していました。
カズキとエンタがトオイを救い出し、最後にして最高の「さらざんまい」を披露する。さらに、最大の敵であるカワウソに対して、ケッピ、レオ、マブというカッパ陣営全員で立ち向かっていく流れによって、息をつく暇がまったくありませんでした。
はじまらず、おわらず、つながれない者たちが、はじまりから、おわりまで、まあるい円でつながる。この変化は、カズキたち3人だけでなく、ケッピ、レオ、マブにも共通するものだと思います。
箱の中に欲望を詰め込み自分の過去に縛られて身動きが取れなくなったカズキたち。カワウソに操られ、真実が見えなくなり、つながれなくなったレオとマブ。戦乱の最中に絶望を切り捨て、絶望とのつながりを断ったケッピ。
あらゆる主要キャラクターが、何かしらのつながりに関する問題を抱えており、その彼らが、つながりを回復していく姿が、全11話を通して描かれています。そして、第11話はまさに、すべてのつながりが成立し、まあるくおさまった話でした。
面白いのは、ケッピという物語上の指南役にまで、きちんと課題を設定している点です。普通、こういう指南役には、バックグラウンドを設けずに、主人公たちを導く役割を担わせるわけですが、第10話~第11話にかけて、ケッピ自身の葛藤も描かれており、ケッピの人物像まで立体的に浮かび上がってきたのは興味深かったですね。
それでは、こうして大団円を迎えた『さらざんまい』第11話の考察をネタバレありで語っていこうと思います。主にテーマ的なところ、物語の本質的なところについて、私の考えをお伝えできればと考えています。
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- 『さらざんまい』第11話(最終話)「つながりたいから、さらざんまい」のあらすじ
- 『さらざんまい』第11話(最終話)の考察① 全員集合!つながりたいなら、葛藤せよ!
- 『さらざんまい』第11話(最終話)の考察② 過去に溺れるな!過去を受け入れて、未来へ進め!
- 『さらざんまい』第11話(最終話)の感想・ネタバレ考察のまとめ
『さらざんまい』第11話(最終話)「つながりたいから、さらざんまい」のあらすじ
黒ケッピに飲み込まれたトオイは、カズキたちとのつながりを断つために、カズキやエンタと過ごした過去を次々に消去していく。そのとき、トオイを救い出すために、カズキ、エンタ、ケッピの3人は、黒ケッピの闇の中に侵入を開始。
カズキたちのつながりの原点である4年前の事実を、トオイは消去しようとしていた。それに気づいたカズキたちは、トオイの前に立ちふさがる。しかし、突如、現れた黒ケッピによって、4年前の記憶が消されてしまう。
さらに、黒ケッピによって、カズキ、エンタ、トオイの3人は、はじまらず、おわらず、つながれない状態にさせられようとしていた。3人で過ごした記憶が消えていく最中、トオイはつながりを失いたくないという自分の気持ちに気づき、「さらざんまい」の掛け声を叫ぶ。
ケッピによってカッパになった3人は、4年前のカズキに、つながりの原点であるミサンガを渡し、つながりを元に戻そうとする。
だが、それを阻む黒ケッピとカワウソ。ケッピは自分の絶望である黒ケッピと向き合うことを決め、カズキたちはカワウソと最後の闘いを繰り広げる。レオとマブの加勢もあり、カズキたちは4年前のカズキにミサンガを渡すことに成功。つながりは保たれたのである。そして、彼らは欲望の河を渡るのだった――。
『さらざんまい』第11話(最終話)の考察① 全員集合!つながりたいなら、葛藤せよ!
ケッピ「世界の円は丸く保たれた。しかし、行く先が常に明るいとは限らない。希望も絶望も命と共にあるのだから」
中略
サラ「忘れないで。喪失の痛みを抱えてもなお、欲望をつなぐものだけが未来を手にできる」
(引用:『さらざんまい』第11話より)
このケッピとサラのセリフに、『さらざんまい』という作品のテーマがきちんと語られています。以前から当ブログでも申し上げていたように、『さらざんまい』には、陰陽道的な思想が流れています。
陰と陽、希望と絶望、欲望と愛、こうした相克の中で私たちは葛藤しながら生きています。つながりを持つということは、葛藤するということ。誰かとつながるためには、その誰かとの間の亀裂を受け入れながら生きていくしかない。
それを拒んでしまっては、自分の小さな欲望を守ることはできても、誰かとつながることはできない。「欲望をつなぐ」という言葉にもあるように、異なるもの、対極にあるものをつなぐことによって、私たちは他者とつながることができる。
「ア」のマークの周囲に「TUNAGARITAI」と書かれているように、誰かと「つながりたい」という欲望を持ち、その欲望を互いに認め合えれば、1つの円となり、「ア」=「愛」が実現できる。欲望と愛は切っても切れない関係なのです。
春河とニャンタロウが川辺で黄昏れているとき、きちんとそこにはスカイツリーが映されていました。スカイツリーは男根=欲望の象徴であり、同時に展望台の円=つながりの象徴でもあります。「欲望をつなぐものだけが未来を手にできる」そのメッセージがスカイツリーを通して描かれていたのかもしれませんね。
一見、愛と欲望は相いれないものだと感じますが、実はこれらは不可分の関係にあり、ケッピにとっての希望と絶望も同じく切っても切れないものです。「つながった!」と言って、黒と白が合わさったシーンは、まさに太極図のそれでしたよね。
対極にあるもののなかで、葛藤しながら生きていくのが人間である、というメッセージを感じ取ることができます。
それは、最後の「さらざんまい」を果たし、未来が漏洩したシーンでも表現されていましたよね。
カズキたちが、同じサッカーチームで紆余曲折を経ながらも、それでも、つながりたいと願う未来の彼らの様子が描かれていました。ここで印象的だったのが、各話のタイトルが並んだところです。
- 「つながりたいけど、偽りたい」
- 「つながりたいけど、奪いたい」
- 「つながりたいけど、報われない」
- 「つながりたいけど、そばにいない」
- 「つながりたいけど、許されない」
- 「つながりたいから、諦めない」
- 「つながりたいけど、裏切りたい」
- 「つながりたいけど、もう会えない」
- 「つながりたいけど、伝わらない」
- 「つながりたいけど、つながれない」
他人と「つながりたい」と願ったとき人が体験するだろう葛藤の種類がここで提示されているのです。これまで第1話から、さまざまな葛藤を経験して乗り越えてきた彼らでも、未来は葛藤の連続だということが示されています。希望と絶望、欲望と愛、相反する様々な葛藤のなかで、私たちは生きていく。こうしたテーマが、第11話には惜しみなく盛り込まれていましたね。
ちなみに、最後カッパ3人が屋形船に乗って、「いざ、未来へ――。」と字幕が出てくるシーンですが、あそこにも陰陽道的なものが潜んでいましたよね。
吾妻橋を介して、向こう側にスカイツリーをはじめとしたモダンなが街並みがあり、その反対側に雷門を含む昔からある街並みがひろがっています。新しいものと古いもののをつなぐのが吾妻橋であり、その下には隅田川が流れています。
その近代と江戸の間を、3人のカッパが流れていく。ここから、新しいものと古いものの両方を受け入れて、前に進んでいこうというメッセージが感じられます。あるいは、新しいものと古いものの葛藤の中で生きていくのが人間であるという思想があるのかもしれません。いずれにしても、最後の最後まで相克を描こうとしている点が面白かったですね。
『さらざんまい』第11話(最終話)の考察② 過去に溺れるな!過去を受け入れて、未来へ進め!
希望と絶望、欲望と愛だけでなく、実は過去・現在・未来という時間軸も、第11話ではつながっていました。4年前(過去)のカズキにミサンガを渡すために、カッパたちは協力してカワウソや黒ケッピに立ち向かいます。そしてミサンガを渡したとき、過去と現在のつながりが保たれました。
そのあと彼らは自分たちの未来を垣間見ることになります。つまり、4年前の過去から未来までが、あの瞬間に一気につながったわけです。
私たちは現在に生きていますが、それは過去の積み重ねがないと成立しないはず。そして、現在の積み重ねによって、未来がひらけていく。しかし、私たちは普段、「今」しか見ていません。過去や未来から孤立し、つながれなくなった状態なのです。
『さらざんまい』は、時間という縦軸におけるつながりにも言及しています。今だけに縛られるのではなく、そこには多層的な世界が展開されているのです。
今回、特に印象的だったのが、少年院を出たトオイが橋から川に飛び込むシーン。沈んでいくトオイのもとに、カズキとエンタが現れ、最後には橋の上で「さらざんまい」のポーズを決める。
『さらざんまい』の中では、たびたび、川の中が描かれていました。例えば、回想シーンに入る際、毎回、川の中のカットが挟まれていました。回想とはつまり過去の出来事。川の中で溺れるというのは、過去の記憶の中で溺れていることを意味しているものと考えられます。
オープニングでも、カズキが川の中で呼吸ができずに泡を吹くみたいなカットがあります。あれは、過去に囚われて息ができなくなってしまった様子を表しているわけです。
今回、トオイは川に飛び込んだ後、カズキとエンタと一緒に川の上に上がりました。過去から脱出するためには、今のつながりが大切で、そのつながりがあれば、欲望の河を溺れずに渡ることができ、最後の「いざ、未来へ――。」というメッセージが表すように、未来への道がひらけていくのです。
あの川へ飛び込むシーンには、過去→現在→未来の時間軸が描かれており、それらをつなぐことの重要性も表現されていました。
未来が漏洩するシーンでも、最後にカッパになった3人が水面を目指して泳いでいましたが、あれと同じ構図がトオイが川に飛び込むシーンでも使われていました。川の底が過去だとすると、水面に向かうのは現在および未来に向かっていることを示唆しているのでしょう。川を通して、時間の流れを表現しているのが、非常に革新的でしたね。
『さらざんまい』第11話(最終話)の感想・ネタバレ考察のまとめ
以上が『さらざんまい』第11話および、シリーズ全体の私の感想です。最後にもう1つ『さらざんまい』という作品を観ながら、私が強く感じたことについて語っておこうと思います。それは、作中に何度も出てくる「それでも」という言葉についてです。
「それでも、つながりたい」と切望するほどの、強い欲望がなければ、関係性は維持できないし、そもそも関係性が生まれないことを『さらざんまい』は伝えています。
しかし、現代社会を見ると、嘘偽りで塗り固めたような人間関係ばかりで、「それでも」と強く望むほどの気持ちを持てる人は意外と少ないのではないでしょうか。
『さらざんまい』を通して、現代社会の空虚な人間関係がかえって浮き彫りになったような印象もあります。みなさんには、葛藤を抱えながら「それでも、つながりたい」人はいますか?
メンヘラだなんだのと、人のメンタルが揶揄される現代において、自分の負の面をさらけ出しながら、他者のそういった面を受容することが果たして可能なのか?いや、だからこそ、この平準化されたメンタル、平均化された精神状態が求められる現代だからこそ、それでも分かってほしい相手や、それでもつながりたい相手が出てきたとき、それはその人にとって、かけがえのない大切なつながりになるはずです。
どうでもいいSNSの薄弱な人間関係に左右されるのではなく、「それでも」と切望するような、正真正銘のつながりを、もう一度私たちは取り戻す必要があるのかもしれません。「あの人とつながりたい」そのためにも欲望を手放すな!欲望は君の命だ!
それでは、最後に『さらざんまい』第11話で気づいた点について、まとめて終わりにしようと思います。
- 欲望と愛、希望と絶望、陰と陽、あらゆる対極のなかで、葛藤を抱えながら生きていくのが人間であるというメッセージがある
- 他者と「つながりたい」ときに発生する葛藤の一覧が、未来の漏洩で提示されていた
- 吾妻橋は、近代と江戸をつないでおり、そこには人間や社会の相克が表されていた
- 回想シーンでも度々出てきた川の底は「過去」を表し、水面に向かう行為には「現在」や「未来」が表現されている
はい、ということで今回のレビューは以上になります。最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございました!また何か話題のアニメや気になるアニメがあったら、1話ごとに考察記事をアップしてみようと思います。
ではでは、次回のレビューまでさようなら~~(^O^)/
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『さらざんまい』の各話の考察記事については、以下からご覧いただけます。